〔PHOTO〕Reuters/Aflo

ビートたけしが自分自身の生と死について語った「生前弔辞」

73歳になった俺が、今考えていること
「いろんなものが消えていく。だけど、忘れちゃいけないものもある。面白かったテレビ。貧しかったけど希望のあった暮らし。大家族の絆。資本主義に蝕まれる前の、働くという喜び――だから、俺は、この時代に向けて、「弔辞」を読もうと思った。たとえ、消える運命にあるものでも、それについて、俺自身が生きているうちに別れのメッセージを伝えておこうと考えた。」

芸人・ビートたけしが芸論から人生論・世界観までを綴った最新刊『弔辞』から、自分自身に捧げた「生前弔辞」の一部をお届けします。

皆さんは、大変な時代を生きることになる

どうにかお笑いの世界でメシも食えるようになって、人気も出て、売れるようになって、今度は自分と同じ世界を目指す若手の姿を見るにつけ、一種の虚無感のようなものを感じるようになりました。

photo by iStock

お笑いは所詮お笑い、エンターテインメントは所詮エンターテインメントです。その時代や自分の身に何も起こらなければ楽しいという、それだけのことであって、世の中を救うわけでも、人様の役に立つわけでも全くありません。

お笑いを真剣にやってきたし、努力もしてきましたが、それを語るのはお笑いとしてはカッコ悪いことです。努力していないわけではないが、そんな姿を人様に見せる必要はない――そんなファジーな状態で、ずっと今まで生きてきました。

しかし、これからの時代はそうはいかないでしょう。

 

これからを生きる、皆さん。皆さんは大変な時代を生きることになります。ITだのAIだのが進化して、個人情報が無作為に氾濫する一方で、ごく一部の人間が全体を牛耳るような社会になる。待っているのは奴隷制かもしれません。そうなると、私のようにいい加減に、ファジーに生きていくのは難しくなるでしょう。

情報を疑えとか言いますが、マジでその感覚を持たないと、大変なことになります。個人情報がネットにあふれていても、その情報が正しいとは限らないし、決めつけられるのが一番つらい。ウィキペディアを見ても、私のことがいろいろ書かれています。

芸人なんて、なんでもいいと思う反面、それだけで俺の人間性を決めつけられるのは、やっぱり勘弁して欲しいと思いますし、その情報が嘘なのか本当なのか、少しも疑問を抱かない社会というのは危険だと思います。

一部の人間が作ったルールの中で俺たちは暮らしてる

とにかく人間なんて、本当にいい加減で社会は未熟です。昔、お笑い芸人に対する評価は、「テレビに出たことある」が絶対でした。テレビには出ていなくても、面白い芸人はいっぱいいました。

人間はおかしな生き物で、コンビニの包装紙と高島屋の包装紙、中身はまったく同じ品物でも、やはり選ぶのは高島屋です。時代が進化しても、結局、人間は本質ではなく、見た目や外見で物事を判断してしまいがちです。

中身や実用性や耐久性なんかよりも、結局ブランドがいちばん重要という、ますますそんな時代になってジャンジャン人間の自由を奪っていますが、人間はそういう枠に入り込みたい生き物です。

厄介なのは「人間は集団の中にいないと不安で仕方がない生き物」だということです。だから、スマホは危険だなんて悪口を言っておきながら、みんなスマホを持っているし、アマゾンとかも便利だから使い続ける。

Photo by iStock

つまり、こうした人間の特性に気がついたごく一部の人間が勝ち組となり、彼ら一部の人間が作ったルールの中で、俺たちは生かされているのです。

庶民に許されているのは、せいぜい酒飲んで悪口言うくらいしかないのです。