修学旅行中の小学生たち168名が溺れ死んだ「紫雲丸沈没事故」の悲劇

かけがえのない命が失われた

「国鉄戦後五大事故」のひとつ

先月11月19日、香川県の坂出市沖に出ていた旅客船が漂流物に衝突、沈没した。この船には、坂出市立川津小学校の修学旅行生である6年生と担当教員など62人が乗船。事故後、乗組員の指示で救命胴衣を着け海に飛び込んだ児童もいたものの、幸いにも迅速に救助され、結果は数名の低体温症が出たのみで全員の命が助かることとなった。

この報道で思い出されるのは、「国鉄戦後五大事故」のひとつ「紫雲丸事故」だ。

紫雲丸はまだ瀬戸大橋の開通していない時代に岡山ー香川間を結ぶ旅客船だったが、もともと事故が多く、1947年(昭和22年)の就航から9年間で5回の事故を起こしていた。中でも「紫雲丸事故」と呼ばれる事故は、最大の被害を起こした5回目、1955年(昭和30年)の事故を指すことが多い。

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濃霧のなか、運行した紫雲丸が大型貨車運航船「第三宇高丸」と衝突して沈没。痛ましいことに、乗船していた広島県の豊田郡木江町立南小学校(現・豊田郡大崎上島町立木江小学校)の修学旅行生だった児童や教員、引率の保護者など、168名のかけがえのない命が失われた。その惨状たるや社会にも大きな衝撃を与え、今もなお海上安全の教訓として後世に語り継がれる事故となっている。

1955年の5月11日、天候は曇天だった。瀬戸内海沿岸には濃霧警報が発表され、場合によっては視界50メートル 以下の見込みとされていた。のちに紫雲丸と衝突することとなる大型貨車運航船「第三宇高丸」は、午後6時10分に岡山県の宇野港を出航。出航時には霧などほぼ無かったが、運航を進めるにつれ、視界は遮られていった。