写真協力=ペシャワール会
# 医療

「最後は日本で死にたい」…アフガニスタンで襲撃された故・中村医師が漏らした本音

追悼3 同志たちが語った中村氏の素顔

中村哲医師が凶弾に倒れて1年になるが(2019年12月4日)、彼を偲ぶ追悼イベントや記事がメディアを賑わせている。

医師でありながら、アフガニスタンに水路を作りあげた中村哲医師の真意と素顔に迫る。友人で医師の堂園晴彦氏の寄稿である。第2回では、中村氏に影響を与えた偉人たちとその哲学に触れた。この第3回では、アフガニスタンでの中村哲医師の素顔に関する証言である。

●第1回はこちら → https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77857

中村医師の活動を世界に知らしめた出版人

ペシャワール会の広報担当理事であり、30年以上も活動を支えてきた出版社「図書出版石風社」(福岡市)代表の福元満治氏は、中村先生をこう評されています。

「経済至上主義の物質的な豊かさとは無縁で、なおかつ清貧だとか平和を声高に語ることはない。理想について説教をすることなく、具体的に実践する。かといって聖人君子とも違う。ちょっとあまのじゃくで、物質文明の中で、それと異なる世界を見ている人がいた。それが中村先生だった」

 

福元氏が、中村先生が新聞に寄稿した文章を読んだ時のことです。

「患者やアフガン難民との関係の深さに嫉妬しました。この人の本は自分が出さなければと思うと同時に、本を出せば編集者と著者との付き合いにとどまらない予感があった。ただ、その後パキスタン・アフガニスタンに20回以上も行くことになるとは、思いもしなかった」

19834年当時の中村医師(写真協力=ペシャワール会)

30年以上にもわたって危険な地で活動を続けることができたことについて、「そこに倒れた人がいたら逃げるわけにはいかん。男ならやらんといかんだろう」と中村先生は話したそうです。

「メンタリティーは古い明治人のような人物だった。『憲法9条があって、天皇陛下がいて、日本だ』と言う人で、伝統社会の美質が芯にある人だった」(福本氏)