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「サービスが先、利益は後」…宅急便の生みの親「小倉昌男」成功のヒミツ

「過去最大の赤字」が後押しした決断
ウォルト・ディズニー、ヘンリー・フォード、カーネル・サンダース……。誰もが知る偉人たちだが、決してすんなり成功をつかんだわけではない。失敗も挫折も経験し、そのうえで「人生逆転」を果たしたのだ。そんな偉人たちの波乱に富んだ人生に触れることができるのが、早見俊氏の『人生! 逆転図鑑』だ。本書の中から、日本の物流に革命を起こしたヤマト運輸元会長、小倉昌男の「成功の秘密」をお送りしよう。

ライフラインとなった宅配便

今日、宅配便は私たちの生活の一部になっています。また、新型コロナウイルス禍による自粛生活にあって、宅配便はライフラインの一翼を担いました。

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そんな宅配便のパイオニアとなったのが、クロネコヤマトの宅急便です。宅急便の成功により、関東の運送業者であった大和運輸は全国有数の運送業者となりました。宅急便を実現させるに当たり、大和運輸で陣頭指揮を執ったのが社長の小倉昌男です。小倉は宅急便により、単に自社を成長させたばかりか、日本の運輸行政に風穴を開け、運送を変えました。

運送業界に革命をもたらした小倉は、利益を社会に還元することにも熱心でした。社会福祉事業にも力を尽くし、「サービスが先、利益は後」というのが小倉のモットーでした。

東大卒の2代目社長、頭脳明晰で社会奉仕活動にも熱心な慈善家、一見して順風満帆の人生のようですが、小倉の生涯は決して平坦で悠々としたものではありませんでした。

小倉は1924年、東京・代々木に生まれました。父の康臣は、大和運輸の創業者、一代にして大和運輸を創立し、事業拡大させた立志伝中の人物です。

彼は、工場で働いた後、手車に野菜を積んで売り歩く、挽き八百屋を始めます。銀座や新橋を中心に野菜を販売し、こつこつと金を貯めました。

 

そんな最中の1919年、銀座で交通整理がおこなわれます。日本にも自動車が走るようになり、牛馬車の通行が禁止されたのです。康臣は、これを自動車時代の到来と受け止め、手車を使った挽き八百屋に見切りをつけました。そして、トラック4台を導入して運送会社大和運輸を設立します。立志伝中の人物らしい、思い切りのよさです。

大和運輸は、三越百貨店の配送業務を請け負い、事業を軌道に乗せることができました。その後、関東大震災により被災したものの、順調に会社は成長します。