かいしさんは日本育ちの中国人。ペルーに留学し、ドミニカ共和国での駐在生活を経て、現在は北京で暮らしています。

様々な国で暮らしたがゆえに悩んだ「自分のアイデンティティ」や日々の暮らしで感じる「ジェンダーについて」、クスッと笑える「あるあるエピソード」などを綴ったインスタグラムが人気を集め、現在フォロワーは7万人。今回は自分のアイデンディティについて悩んだお話しの2回目です。

中国人だけど…「中国」を受け入れられなかった

こんにちは!北京出身、日本育ちのかいしです。2歳から9歳まで日本にいたのですが、帰国してからは逆カルチャーショックのオンパレードでした。

早く同級生の中国の子たちに追いついていけるように、親が頑張って地元のとても有名な小学校に入れてくれたのですが、クラス内には大富豪の娘やら息子やら総揃いでした。普通の家庭出身な子たちもいたのですが、中国の「階級差別」みたいなものを目の前で経験しました。

その時私は中国語も下手で、授業についていくのも精一杯でした。元々お金持ちでもないし、成績も悪い。出身地だと思ってた日本に、「帰る」ビザも資格もない。本来決して自信がない子供ではなかったのに、中国に帰国してからの数年間で、私の自尊心はボロボロになって行きました。小学校の担任からの評価も、「あなたは自分に自信がなさ過ぎる」だったんです。もう目に見えるくらい自信が無かったんです、きっと。

中学に入ってからは、中国語はネィティブレベルまで達したものの、同級生となかなか話題が無かったのが悩みでした。当時中国の流行にも正直関心があまり無くて、暇あらば日本の漫画やバラエティーやドラマばかり観ていました。ネット閉鎖が始まってからは日本のネットにアクセスする事が難しくなったのですが、あの手この手で必死に方法を探ってました。私と日本を繋げる唯一のものが、インターネットだったので。

本当の親友に出会ったのは高校三年生の時でした。当時友達があまりいなかった私になぜかつきまとってくれて、最初はそんな親しくもないのにズカズカ私のプライベートゾーンに踏み込んでくる彼女が苦手だったのに、気づかぬうちに何でも話す仲になっていました。私の複雑なアィデンティティを心底理解してくれて、それまで母国にいてもどこか「旅人」感があったのですが、初めて中国で「居場所が出来た」気持ちになりました。

大学は地元の言語大学でスペイン語を専攻し、仲良くなったルームメイトと一緒に南米のペルーへ一年間交換留学しました。ペルーは欧米ほど多様な人種にあふれる国ではないけど、留学先の大学にはいろんな国からの留学生が沢山いて、交流を重ねるうちに多様な文化に触れました。特にペルーでは日系人が多く(その数は十万人以上とも言われます)、日系三世の友達も多く、お互いのアィデンティティを語り合ったりしました。

同じ国籍がペルー人の中にも、先住民の血を引いてる子たちや、スペインの血を引いてる子など、実に複雑なアィデンティが存在していて、自分は「別に変な存在じゃないんだ」と思えるようになりました。