2020.12.09
# 経営者 # 自動車

自動車王ヘンリー・フォード、二度の挫折からどうやって「大逆転」したのか?

「T型フォード」大ヒットまでの長い道のり
早見 俊 プロフィール

この信念が彼を成功に導いた

フォードは莫大な富を得ますが、従業員にも還元します。それまで、米国の工場労働者の平均賃金は日給2ドルでした。フォードは、自社の労働者の最低賃金を日給5ドルに引き上げます。彼は「賃金の引き上げではない、利益を分配しているのだ」と言いました。労働者の生活を豊かにし、彼らも自動車のユーザーにしていったのです。

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また、労働者の生活が豊かになることが米国の繁栄だ、とも、フォードは信じていたのです。彼は「私たちが繁栄しているから自動車を持てたのではない。私たちは、自動車を持っているからこそ繁栄したのだ」と語っています。自動車産業の興隆イコール米国の繁栄だと信じて疑わなかったのです。

やがてフォード・モーター・カンパニーは、20万人を超える従業員を抱えるエクセレントカンパニーとなりました。

それでも、永久に続く繁栄などありません。フォードの凋落は、皮肉にもT型フォードが売れすぎたがために始まりました。全米に自動車が普及し、市場が飽和状態になったのです。T型フォードは、次第に消費者から飽きられていきました。

頑なにT型フォードを生産し続けるフォードに対し、ライバル会社のGMは、毎年自社で製作した「シボレー」のモデルチェンジを繰り返します。

T型フォードはシボレーに押され、1927年、ついに生産中止になりました。そして、試行錯誤の末、同年12月「A型フォード」を生産。以降はGMに倣って、毎年モデルチェンジをするようになります。

そんな中、フォードはリーランドと再会します。

 

リーランドは、キャデラックをGMに売却した後も、第1次世界大戦まではキャデラックの責任者としての役割を担っていましたが、航空エンジンの生産を巡ってGM首脳陣と対立して去りました。

GMを去って後、リーランドは「リンカーン・モーター・カンパニー」を設立し、再び高級車の製作に乗り出し、キャデラックに並ぶ高級車「リンカーン」を製作します。このときも、周囲は自分の名前を車名につけることを勧めますが、リーランドは遠慮して尊敬するリンカーン大統領の名をつけたのです。

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