2020.11.28
# ポリティカル・コレクトネス # アメリカ

アメリカの大学でなぜ「ポリコレ」が重視されるようになったか、その「世代」的な理由

『アメリカン・マインドの甘やかし』(1)
ベンジャミン・クリッツァー プロフィール

傷つくことを過剰に恐れる

『アメリカン・マインドの甘やかし』のなかで問題視されている風潮のひとつは、「トリガー警告」だ*1

「トリガー警告」とは、授業や講演などにおいて、学生にショックを与える可能性のある画像や映像を映したり、学生の気持ちを傷つけるかもしれない意見を紹介したりするときには、そのことを事前に学生に警告して、見たり聞いたりしたくない学生は教室から退席してもよい、と許可を与えることである。

〔PHOTO〕iStock
 

これだけを聞くと「学生によっては残酷な画像や性的な画像に耐性のない人もいるだろうし、無用なショックを避けることに問題はないのではないか」と思う読者もいるかもしれない。

ルキアノフとハイトが問題視しているのは、学生が「傷ついた」と感じる対象が拡大していることだ。たとえば、アメリカ文学の古典であるスコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』ですらも、女性嫌悪や身体的暴力が描かれているとして、授業でその作品を読むことを拒む学生がいる。ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』は自殺を想起させるため、オウディウスの『変身物語』も暴力が描かれているために、トリガー警告の対象となってしまうのだ。

文学を専攻する学生が「自分が傷つくかもしれない」という理由でこれらの古典的作品に触れることを拒否することが認められるなら、文学専攻の存在意義そのものに疑問符が付くだろう。

この傾向は、法学部にまで波及している。ハーバード大学の法学部教授であるジーニー・スークによると、昨今の学生たちは性的暴力に関係する法律についての議論することでも「トラウマ」を刺激されたりストレスを受けたりすると主張して、それらの法律を学ぶことを拒否しているのだ。この事態について、外科医になろうとしている医学生が「血を見たら不安に感じるかもしれないから」という理由で手術や解剖の実習を拒むようなものだ、とスークは表現している。

このような「トリガー警告」の風潮の背景に存在するものこそが、「脆弱性の不真実:人は傷つくことで弱くなる」である。

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