1933年(昭和8年)3月、東京都目黒区の西郷山(さいごうやま)で25人もの嬰児の死体が発見される「西郷山の大量貰い子殺人事件」が発生した。
この事件は、Kという男性が1928年~1933年にかけて、赤子を産んだものの育てられなくなった母親から養育費と引き換えに赤子を預かり殺害。その死体を西郷山に埋めていたという事件だ。
被害にあった子供は27人(実際に遺体が見つかったのは25人。実際はもっと被害者がいたと推測される)で、当時の東京を中心に大きな騒ぎとなった。
さて、「西郷山の大量貰い子殺人事件」からわずか1か月後、群馬県のA市にて「第二の西郷山事件」と呼ばれることになる猟奇事件が発生した。
1933年4月3日の夕方ごろ、群馬県A市にある市営火葬場の敷地内で遊んでいた十数人の子供が火葬場のゴミ捨て場で、畳表(イグサで作られたゴザ)に包まれた大きな物体を発見した。この物体は途轍もない異臭を放っており、子供たちが恐る恐る畳表を拾い上げると、そこには両腕と両足がない焦げ茶色になった半焼け状態の人間の死体があった。
しばらくして群馬県警の刑事課長、市の警察署長がやってきて死体を回収することになった。
ゴミ捨て場から回収された死体は2体あった。半焼けとはいえ火で焼かれており、性別や年齢、外傷があるかなどは一切わからなかった。
警察はこの死体が「殺害後に証拠隠滅のために焼かれたもの」および「火葬場から不法投棄された死体」という二つの方向から調査を進めることになった。