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蓮田善明の子、赤ちゃんポストの医師が語る三島由紀夫自決への道のり

「われ近代に遺されて空しく・・・」

三島由紀夫を世に送り出した国文学者とその子

作家・三島由紀夫の自決から50年目の日のちょうどひと月前、この10月25日に一人の老医師が亡くなった。産婦人科医、蓮田太二さん。享年84歳。熊本市の慈恵病院理事長として、同病院に「こうのとりのゆりかご」という名称で、親が育てられない乳幼児を匿名で預かる「赤ちゃんポスト」を日本で初めて開設した。

2007年から始めた営みは、捨て子を促すなどという批判も出て大きな論議を呼んだが、結果的に数多くの幼い命を救い、広く感動を巻き起こし、人々の共感を得ることになった。開設以来、この春まで百数十人の乳幼児を預かっただけでなく、一時は毎月数千もの電話相談などにも応じてきた。

蓮田善明(左)と妻・敏子

その蓮田さんと三島由紀夫には、深い縁があった。

蓮田さんの死去を報じた新聞記事の一部には、父親が国文学者、蓮田善明であったことが記載されている。しかし、善明が三島の早熟の天才の発見者であり、戦中の文壇にデビューさせたことを記した新聞はなかったようだ。後日、産経コラムが触れた。

昭和16年、善明は学習院中等科在籍中の16歳の三島が書いた原稿用紙70枚ばかりの小説「花ざかりの森」を一読するなり、「悠久な日本の歴史の申し子である」とその天才を見抜き、主宰する『文芸文化』への掲載を決め、三島を文壇に認知させた。

新聞の目がそこに行き届かなかったのは、やむを得ないことかもしれない。善明は戦前日本のロマン主義文学の中心人物の一人であり、学者ながら昭和18年に応召。マレー半島で士官として20年8月の敗戦を迎え、近くの神社に軍旗奉焼に向かおうとした所属連隊の連隊長を拳銃で射殺した後、自決した。享年41歳。この事件や善明らのロマン派文学の戦時における国粋主義もあって、善明は戦後文壇では長く否定された存在だった。

三島愛読者や日本のロマン主義に関心を持つ者でなければ、ましてや医療や社会保障を専門とする記者にとっては、蓮田さんの父親のこうした軌跡は、まったく関心外となろう。

 

ただ、読者も気付くように、敗戦を受け上官を射殺し41歳で自決した善明と、45歳で自衛隊市ヶ谷駐屯地で将官を人質に取り自決した三島の最期には、相似たところをみないわけにはいかない。蓮田の後押しで文人としての登場した三島は、最期も蓮田を追うようにして去って行ったように見える。

以下は、そうした最初と最後の間にあった三島と蓮田家の物語だ。