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「広報効果アリ」「非常に危険」…“事件前の三島由紀夫”を自衛隊関係者はどう見ていたか

三島事件から丸50年

11月25日は、三島事件の日である。

50年前のこの日、三島由紀夫は、学生組織「楯の会」メンバーを率いて、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の東部方面総監部を突如来訪。益田兼利総監を人質に取り、バルコニーで並み居る自衛官たちにクーデタを呼びかけたのち、総監室で同メンバーの森田必勝とともに割腹自殺を遂げた。

その真意については、いまも盛んに語られているところだ。では、当の自衛隊関係者はそのときまで、三島をどのように見ていたのだろうか。

軍隊ごっこに現を抜かす、変わり者の作家? それとも、なにを仕出かすかわからない、政治的に危うい活動家? 今回はその証言に耳を傾けてみよう。

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広報課長は「非常に広報の効果があると判断」

三島由紀夫は、1967年4・5月、陸上自衛隊に個人で体験入隊した。それが皮切りになり、翌年からは、のちに「楯の会」メンバーとなる若者たちを連れて、集団で体験入隊を繰り返すようになるのだが、その窓口となったのが、防衛庁広報課長の伊藤圭一だった。

伊藤は、「非常に広報の効果がある」として、この試みに前向きだった。「私も広報課長として、あの人の文才で、しかも新聞に発表されるなら非常に広報の効果があると判断しました」(「三島由紀夫夫人が自衛隊に償った六百万円」『文藝春秋』2001年1月号)。

伊藤はまた、個人的にも三島と親交を結んだ。初対面のとき、好きな作家を訊かれて泉鏡花と答え、「じつは私もそうなんだ」と意気投合したことがきっかけだった。以来、会うたびに小説や芝居の話でも盛り上がり、三島の自宅に招かれてフランス料理をご馳走されることもあった。

そのいっぽうで、国防に関する話題は出たことがなかったという。広報課長にとって、人気作家はあくまで自衛隊をアピールするための存在。三島もそのことをよく弁えていた。ふたりは、相互に利用する関係だったといえよう。