70年1月下旬。東京都練馬区にある分部のアトリエに、三島が訪ねてきたのは午後7時だった。
親交のあった日本画家の杉山寧(1909~93年)から、三島をモデルとした彫刻の依頼があったのは前年の暮れだった。三島の夫人は杉山の長女。三島は「男性像は、分部さん以外にいない」との推薦を杉山から受けていたようだ。
「一人では心細いから早く帰ってきてくれ」。当時、母校の東京芸術大学で副手として在籍していた吉野は、分部からこう言われていた。前年、芸大の同級生だった分部の長女と結婚し、同居していた吉野は義父の求めに応じる。「像を制作するのはオヤジ(分部)ですが、相手は超有名人だから気後れするので、初対面では僕にも一緒にいてほしかったんでしょう」
石油ストーブをつけて、アトリエを暖めて待った。分部の妻に案内されて現れた三島は挨拶もそこそこに、壁掛けの大きな鏡を見つけると、突然、服を脱ぎ始めた。全裸になってポーズをとると、「これでどうでしょうか」と、呆気にとられる2人に向かって話しかけた。
「普通じゃないと思いました。だって、きょうは打ち合わせだと思っていたんです。それなのに、会うなり裸になってポーズを取ったのですから」
身体を少しよじって、腰の位置で両腕を後ろに回し、視線を斜め上に向け、両方の踵を軽く上げた姿勢。三島の口から具体的な説明はなかった。ただ、後になって気づくのだが、イタリア・ルネッサンス期の代表的画家、マンテーニャ(1431~1506年)が描いた「聖セバスチャン」そっくりに見えた。