"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。
波乱万丈のゴリラ研究者
1932年の今日(1月16日)、ゴリラ研究の大家として名高いアメリカの霊長類学者ダイアン・フォッシー (Dian Fossey, 1932-1985)が生まれました。
カリフォルニア州サンフランシスコで生まれたダイアンは子供の頃から生き物について大きな関心を抱いていました。
生き物への愛を昂ぶらせた彼女は両親の反対を押し切ってカリフォルニア大学の獣医学コースへと進学しました。その後、サンノゼ州立大学へ編入した彼女は作業療法士として各地の病院を回りました。

1963年、彼女は一念発起して多額の借金をし、アフリカの各国へ長期の旅行へ出ました。様々な自然公園などを回った彼女は現地で出会ったマウンテンゴリラに興味を持ち、何人かの学者に話を聞くうちに野生生物の研究に取り組むことを決意しました。
そこから彼女は数十年もゴリラの研究を行いました。ゴリラのグループの社会関係や食事について多くを明らかにした彼女の研究はやがて社会の目にとまり、1970年には『ナショナル・ジオグラフィック』の表紙を飾るほどとなりました。
研究を続けるにつれ、彼女はゴリラの密猟や住環境を荒らしかねない観光についての反対運動にも取り組むようになりました。
ゴリラは非常に社会的な動物で、子供がさらわれるとグループの多くのゴリラが反抗するため、少しの密猟が多くのゴリラへ被害をもたらすこととなるのです。
フォッシーはキャリア終盤、密猟への反対運動に注力し、実際に密猟犯を逮捕することもありました。
謎に包まれた突然の死
しかし、1985年の12月にフォッシーは何者かに殺害されてしまいます。
犯人として彼女の助手が逮捕されましたが、現在も実際の犯人を含めて詳細は明らかになっていません。

激動の生涯を描いた彼女の著書『霧の中のゴリラ(Gorillas in The Mist)』はベストセラーとなり、のちにシガニー・ウェーバー主演で映画化もされています。
残念ながら、2019年にはこの著書に登場したゴリラの最後の一頭であるオスゴリラのポピーが亡くなったという悲しいニュースもありました。
日本のゴリラ研究者というと京都大学の前学長を務めた山極寿一(やまぎわ・じゅいち)氏が有名ですが、彼が師事したのがこのダイアン・フォッシーです。
弟子入りを志願した際、フォッシーはゴリラの鳴き声を真似させるという一風変わったテストを行ったそうですが、山極氏は「グフーム」というゴリラの挨拶をやってのけ、無事に弟子入りを認められたそうです。