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哲学者が『鬼滅の刃』3巻24話から考える「物事を正しく理解する仕方」

意味は「全体論的に」理解される

早くに価値判断してはならない

ついこのあいだ拙著『哲学トレーニングブック』(平凡社)を公刊し、それが機縁となって「現代ビジネス」へ寄稿することになった。以下では、漫画・哲学書・人生を順に論じていくが、三つの話題を通じて一貫した事柄が語られるだろう。

吾峠呼世晴(ごとうげ・こよはる)の『鬼滅の刃』(集英社)が自分にとって面白くなってきたのは「頑張れ 炭次郎 頑張れ!!」と主人公・竈門炭治郎(かまど・たんじろう)が自らを鼓舞するコマあたりからである(第24話、単行本3巻収録)。

連載開始時からジャンプで読んでいたのだが、最初の二十数回は《暗い漫画だなあ・・・・・・》という印象だけであった。だが、雷の隊士・我妻善逸(あがつま・ぜんいつ)の登場したあたりから私の受け取り方は徐々に変化し、「頑張れ 炭次郎 頑張れ!」という言葉のあとには毎週次の回を待ち遠しく感じるようになった。

 

――こうしたことを語ることで何が言えるのかと言うと、それは連載漫画の読み方についての一般的注意である。これは大半の漫画読みにとって「釈迦に説法」の話だろうが、言語化しておく価値もあると思う。

週刊連載などを読むさいに肝に銘じておくべき事柄は《あまり早くに作品の価値を判断してはならない》ということだ。漫画の或る箇所の意味合いは、後のストーリーの進み方からも影響を受ける。それゆえ、連載が始まったばかりの内容がつまらなく感じられても、その後の展開次第では初めの箇所もまた面白く読める可能性がある。

じっさい、「頑張れ 炭次郎 頑張れ!!」のシーンに出会ったあと、私はジャンプのバックナンバーを引っ張りだし『鬼滅』を初回から読み返してみた――そして《これはたんに暗い漫画ではないぞ》という感想を抱いた。それほど面白く感じられなかった初めの数回が、たいへん楽しめるものになったのである。

漫画はいわば「回をまたいで構造化されている」ので、特定の回(とりわけはじめの数回)の印象だけで作品全体の価値を決めるわけにはいかない。そして当初の印象は塗りかえられる可能性がある。いまや『鬼滅の刃』は私にとって初回からつねに面白い漫画になっている。