2020.11.21
# 本

「なんでこんなに政治の世界が酷いんだろう」…この国で“痛みを抱えて生きる”ということ

上間陽子さんインタビュー
山本 ぽてと プロフィール

「加害者の被害性」について

いつか加害のことを、そのひとの受けた被害の過去とともに書く方法をみつけることができるといいと、私はそう思っている。(海をあげる所収「ひとりで生きる」より)

――もうひとつ、『海をあげる』で印象に残ったのは、「ひとりで生きる」の章。沖縄で、彼女である春菜を援助交際させてお金を稼いでいた男性・和樹のインタビューです。和樹は上間さんがいつも調査をしている女性たちから見ると、加害者のような立場ですよね。でも彼自身も親から殴られて生きてきた。加害の中の被害を書くと、加害も肯定されてしまうのではないかという問題がありますが、どのように考えて書きましたか。

上間:加害者の被害性については、本当はもっと徹底してやられた方がいいと思っています。加害を無くすためには実は、加害者の受けた傷を確定し、その修復の話はせざるを得ない。

社会学の領域では、実態を把握するやり方や、理論の検証という点に強みがあると思います。一方、私の専門の教育学では、人間の発達や変化を目指すことを内包しているんです。よりよい社会を作りたいと願う市民を育てることが、この領域の主題のひとつです。

たとえば、教育学の中では、暴力をふるう子どもをどう扱うのかはテーマになっています。そこに対していま文科省がやっているのは、ゼロトレランス(寛容度ゼロ)方式の導入です。例えば、なにかの違反をすると、叱られる、あるいは排除する。罰する対象にするんです。厳罰化の流れと連動しているように思います。

でも本当に暴力をなくしたいと考える市民をつくるためには、暴力をふるう本人が変化を目指すことが必要だと思っています。暴力をふるう自分をどう考えるのか、なぜふるうのか、今後もそれでいいはずない、生活を変えていこうという願いを本人のなかに形作る。これが教育学の固有性になると思います。

なぜこの話をしているのか。和樹のことを、すごく擁護して書くなら、子どものときのことをしっかり書けば、なぜ彼は暴力をふるわないことを目指せないまま育ってしまったのか?という社会の側の話になります。そして、半分はそこを目指しているんです。

幼少期の頃に辛い目にあったのに、いまもまだ家族を捨てられずにいるところ。そして春菜のことを「好き」と認めるまでに、とても時間がかかるところ。こんなに自分の欲望を口にするのに、時間がかかるのだという点を掲載しています。

そして、和樹のようになりそうな子は沖縄にたくさんいます。その子たちの問題も考えないといけないと思っています。「好き」だということがあれだけ語れないのは、小さいころから彼らが何を感じているのか周囲の大人が聞いてこなかったからです。

同じことを起こさないためにはどうしたらいいのか。テコ入れできたのはどこなのか。なぜこんなに放置されたのか。やらなければいけないことが沢山ある。これは教育学の実践部門で引き取れる問題だと思っています。

 

――今回、上間さんは「いつか加害のことを、そのひとの受けた被害の過去とともに書く方法をみつけることができるといい」と書いて、取材のインタビューの書き起こしデータをかなり忠実に載せていますよね。それが、上間さんにとって、現時点で加害の中の被害を書く方法なのでしょうか。

上間:同時期に刊行した『地元を生きる』(ナカニシヤ出版)では、同じタイトルで元彼女の春菜の話を書いています。和樹の育って来た環境の話をひとつの本でして、でも現状の中ではジェンダーの格差もあり、さらに奪われた子がいることをもうひとつの本で書きました。同じタイトルにしたのは、ふたつの原稿の連なりを見てもらうことで、和樹の被害者性と加害者性の両方を見てほしいという希望もあります。

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