頭の中でやかましく、喋っているのを書く
――本の中で「自分の声を聞き取るような1年でした」と、書いたときのことを振り返っていますよね。
上間:そこは、少しかっこつけたかもしれません(笑)
――上間さんは沖縄の若い女性たちの話をずっと聞いてきたと思うのですが、自分の声を聞くことと、人の声を聞くことの違いはありましたか。
上間:一緒だと思います。どちらも、なぜそこに傷ついているのか、なぜ言葉が出て来なくなっちゃうのかとその体験を掘っている作業なので。わりと似ているような気がします。

――自分にインタビューをする感じですか?
上間:そんなんではない。頭の中でやかましく、喋っているのを書くというか。
――喋ってる?
上間:喋ってませんか。頭の中で。
――言われてみれば。ちょっとわかります。
上間:色々なやかましさがある。話し言葉で、日常のことを淡々と書いてみたら書けた。書くときは連想して書いています。
例えば、祖母について書いた「空を駆ける」では、「骨」がキーワードだなと思いました。この話は、「祖母は、八四歳のときに、膝に人工骨を入れる手術をした」から始まりますが、校正の方に「人工骨」ではなく、「人工関節」ではないか? と提案されました。でも私は「人工骨」にこだわって残してもらった。
おばあちゃんは、おじいちゃんと話しているときに、「わっち(私)は、たくさん子どもを産んだから、骨がなくなった」と言ってました。この人は、骨を削りながら、溶かしながら、子どもを生んできたんだと。
祖母は、黙っていると、静かな、おしとやかにみえる人だったんですけど、ものすごくケチンボで、クセのある人でした。まぁ、今なら「毒親」って言われるようなおばあちゃん。でも、母や孫たちの中には、この人は骨を削りながら生きているんだという了解みたいなものがあったんだと思います。
そういうキーになる言葉を使って、この本は書いているような気がします。「骨」だったり「花」だったり。ひとつのエッセイで、3パターンくらい書いているんですよ。やっぱり、キーになる言葉を間違えると、なんか違うと書き直しました。