賽銭泥棒「逮捕の瞬間」を、顔出し・実名で報じたテレビ局への「強烈な違和感」

「背景への想像力」が必要だ
白波瀬 達也 プロフィール

事件背景への「想像力の欠如」

埼玉県警としては、この動画をマスメディアに流してもらうことで、相次ぐ賽銭泥棒を抑止する効果を期待したと思われる。確かに賽銭泥棒は犯罪であり、被害を防ぐことは警察として当然の任務だ。しかし、この映像から抱く印象は「窃盗をする罰当たりな悪人とそれを必死に取り締まる警察」という単純な構図だ。

そこにはわずか655円の窃盗をせざるを得なかった男性への配慮などまったくない。冒頭で述べたように彼は30歳の無職男性だ。この映像を見た人の中には「30歳にもなって無職だなんて」といった蔑みに近い感情を持った人がいるかもしれない。しかし筆者はこう思う。なぜ30歳で無職なのだろうかと。賽銭泥棒に至る背景に目を向けるべきではないかと。

〔PHOTO〕iStock
 

筆者はかつてホームレスや生活困窮者の相談員をしていたことがある。その時に少額の窃盗をしながら困窮状態を凌(しの)いだ経験を持つ人々に度々出会ってきた。彼らは極端な貧困状況のもと、やむにやまれぬ事情で窃盗をはたらかざるをえなかったのだ。

筆者が賽銭泥棒の報道を目にしてすぐに想起したのが、これまで見てきたこうした「貧困と孤立」である。安定した収入があればリスクを冒してまで少額の賽銭泥棒などをする必要がないからである。また安定した社会関係や社会福祉に関する知識があれば、このような犯罪行為に走らなくて済んだはずだ。

「軽微な犯罪に手を染める者の中に社会的弱者が多く含まれるのではないか」。このような見方が警察やテレビ局の中に少しでもあれば、鬼の首を取ったような報道にならなかったのではないだろうか。

事実、近年の刑務所には軽微な犯罪で収監される社会的弱者が顕在化しており、その処遇のあり方が問い直されつつある。特に注目されているのが刑務所に収監されている知的障害者と高齢者の存在だ。社会に居場所をもたない知的障害者や高齢者が窃盗などの軽微な罪を繰り返し、刑務所が福祉施設のようになっていることは、元衆議院議員の山本譲司氏の著作『獄窓記』(2003年)や『累犯障害者』(2006年)などを通じて広く知られるようになった。このような現実は、警察もテレビ局も当然知っているはずなのだが。