夫・秋篠宮さまはいずれ天皇に…紀子さまが夢見る「皇后陛下」の椅子

3LDKのプリンセスから「国母」へ
週刊現代 プロフィール

悠仁さまが長ずるにつれて、紀子さまはそうした自信を深めていった。しかし一方で、その熱意は次第に周囲を圧するようにもなった。

秋篠宮家に仕える職員に退職者が増え始め、マスコミに「御難場(厳しい職場)」と書かれるようになったのは、悠仁さまが小学校に上がったころのことだ。

「私語をする職員がいると、『親王の勉強に差し障ります! お静かに!』とお叱りになるなど、大きな声を出されることが増えました。数ヵ月かけて調整したご公務の日程を直前になって覆され、心が折れる職員も出てきた。 

挙げ句、意図的なのかどうかは分かりませんが、全く同じ仕事を二人の職員に指示して、遅かったほうを叱責された、などという話まで漏れ伝わるようになったのです」(前出と別の宮内庁職員)

決定的な事件も起きる。悠仁さまを乗せた車両が'16年11月に前方を走る車に追突し、翌'17年4月には眞子さまの車両が縁石に接触した。あってはならない事故が相次いで発生したのだ。紀子さまは激怒した。

「事故の背景には職員の疲弊がありました。当時、宮内庁の中には『秋篠宮家の担当は、仕えるのではなく耐える』という言い回しすらあった。限界が来ていたわけです。

秋篠宮さまが昨年に皇嗣となられてからは職員の数もおよそ倍になってはいますが、退職者は減らず、慢性的な人手不足は変わりません。

これまで人材供給源だった警察庁や外務省も及び腰になり、新任宮務官をキャリア官僚ではなく、地方自治体の職員などから引き抜くケースが増えています」(同・宮内庁職員)

 

仮に悠仁さまが生まれていなければ、おそらくは紀子さまもこれほど周囲に厳しく当たるようにはならなかっただろう。

国民の注目と期待を一身に受ける中で、「次期天皇家たるもの、常に完璧でなければならない」、そして「皇統の未来を担う秋篠宮家が、蔑ろにされることはあってはならない」との思いが募っていったのではないか。そのしわ寄せが、職員への負担という形で現れているのだ。