天皇と上皇を含めて現在18人いる皇室のうち、美智子上皇后、雅子皇后、そして皇嗣妃の紀子さまの3人が、一般家庭から皇室に嫁いでいる。
しかし、日清製粉創業者・正田貞一郎氏の孫である上皇后、外務事務次官や国連大使を歴任した小和田恆氏を父に持つ雅子さまと比べれば、紀子さまは圧倒的に「庶民」の生まれといえる。
それがいまや、紀子さまの双肩にかかるのは「次期皇后」の称号だけではない。長男・悠仁さま、つまり未来の天皇の母――「国母」という大役までもが行く手に待ち受けているのだ。
大学院から直接皇室に入った紀子さまは、エリート女性官僚を経て皇太子妃となり、「強く美しいキャリアウーマンの象徴」として人気を集めた雅子さまの陰にいつも隠れていた。
「'93年に雅子さまが皇室に入られて以来、紀子さまは常に雅子さまと比較されてきました。特に旧華族や旧皇族の人々から紀子さまへの風当たりは凄まじかった。
『なぜ秋篠宮はこんな庶民と結婚したのか。川嶋家が辞退しなかったのが信じられない』と言って憚らない向きさえあったのです」(旧皇族関係者)
私はハーバード大学から東大、外務省という輝かしいキャリアをもち「未来の皇后」が確約された雅子さまとは違う。異質な「叩き上げ」であるからこそ、皇室に泥を塗るような失敗は許されない、強くあらねばならない……。
いつしか、常に変わらぬ「氷の微笑」が紀子さまのトレードマークとなった。それは、自らを守り武装するための仮面だったのかもしれない。
しかし、雅子さまと紀子さまの置かれた立場が一変する瞬間が訪れる。'06年9月6日、悠仁さま誕生の日だ。