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三島由紀夫、衝撃の割腹自殺から50年、あれは何だったのか

生き続ける一世一代の大芝居

11月25日が近づいてきた。

三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地で、割腹自殺をした「あの日」から、今年で50年となる。

大型書店には三島由紀夫関連の本のコーナーもでき始めた。普通の作家であれば、その没後何周年でのコーナーには、その作家の小説が並ぶ。三島コーナーも、彼自身の著作が並んでいるが、あの衝撃的な死をめぐる論考も多い。

もう半世紀も前なので、「歴史」である。

あの事件のとき、私は10歳、小学校4年生だったので、かろうじて記憶にあるが、それよりも若い人、1960年より後に生まれた、いまの50代以下はリアルタイムでの記憶はないだろう。

現代史は学校では習わないので、文学や政治に興味のある人以外には、よく知らない事件かもしれない。

 

とらえどころのない作家

三島由紀夫は小説家である。高校の夏休みの課題図書として『金閣寺』『潮騒』あたりを読んだ人もいるだろう。

思想的には「右翼」の代表とみなされ、『憂国』『英霊の声』といった作品は、その思想をもとにしたとみなされている。

一方、三島は左翼作家と認識されていた時期もある。

東京都知事選挙に革新統一候補として立候補して落選した、有田八郎をモデルにした『宴のあと』や、近江絹糸の労働争議を題材にした『絹と明察』といった、左翼陣営を小説にしているからだ。『絹と明察』など山崎豊子が書いたといっても、通用するようなストーリーだ。

江戸川乱歩の明智小五郎シリーズの一篇『黒蜥蜴』を戯曲にもしているし、UFOを題材にした『美しい星』というSF的なものもあり、エンタメにも近い。

このように、作家としてだけでも、とらえどころのない人でもある。

それだけでなく、三島は俳優として映画に出たり、ヌードモデルになったり、ボディビルをしたり、と広義には芸術ではあるが、文学の枠組みをはみ出した活動もしていた。

そして、自衛隊に体験入隊し、私費を投じて学生たちを集めて私設軍隊ともいうべき「楯の会」を結成し、1970年11月25日、自衛隊の市ヶ谷駐屯地へ仲間とともに行き、クーデターを呼びかけ、呼応する者がいないのを確認すると、切腹したのである。

45歳だった。