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『鬼滅の刃』、中1の娘を魅了した「いい子な主人公・炭治郎」…その〈新しさと古さ〉

「忠」「孝」から「ケア」へ
堀越 英美 プロフィール

大正時代からさらにさかのぼると、日本の少年向けフィクションの原点ともいうべき明治時代中期のベストセラー小説「こがね丸」(巌谷小波)は親の仇討ちのために武者修行に出る話で、やはり「孝」の儒教道徳がベースにある。そのインスパイア元のひとつである江戸時代の『南総里見八犬伝』(滝沢馬琴)も、犬士たちによる親の仇討ちエピソードとは切り離せない。儒教における八つの徳目をそれぞれ持った八犬士は、当然ながら皆道徳的である。

 

「忠」と「孝」から「ケアの倫理」へ

道徳的な「いい子」である点で、『鬼滅の刃』の炭治郎と1950年代以前のヒーローたちは共通している。違うのは、かつてのヒーローたちの道徳性を担保していたのが、儒教的な「忠」と「孝」である点だ。

『鬼滅の刃』の炭治郎は親きょうだいを鬼に殺されているが、身体がボロボロになってまで戦うのは「親の仇討ち」のためだけではないし、鬼殺隊を束ねるお館様に忠義を尽くすためというわけでもない。

大正時代の貧しい炭焼き小屋の長男として生まれ、父亡きあと母を支えて家業と弟妹の世話と家事を担っていた炭治郎の正義の基盤は、「ケアの倫理」にある。ケアの倫理とは、儒教道徳のように秩序を守るために一般化された原理ではなく、それぞれ異なる他者の感情を想像し、配慮し、手を差し伸べるといった具体的な実践に価値をおく倫理である。兄とともに家を支えていた長女の禰豆子も、兄の倫理感を継承している。

この二人が普段優しい反面、よその子を傷つける強者に危険を顧みず立ち向かう正義心の持ち主だったことが、生前の弟の口から語られる回想シーンがある。二人は鬼が現れる前から、ケアを担う相棒同士だったのだ。鬼とのバトルでも基本的にはお互いを守るように戦うが、兄が自分を守ることで里の人々が守られなくなると判断したら、禰豆子は自らの死を覚悟のうえで兄を蹴り飛ばして民衆を守る戦いへ追いやる。炭治郎も妹の判断を尊重する。二人が戦うのは、自分たちのような悲しい思いをほかの人にさせないためだ。