映画「ばるぼら」から読み解く、
ニューノーマル時代のアートの楽しみ方

稲垣吾郎さんが20代半ばだった1999年、手塚眞監督の映画『白痴』が公開された。『白痴』は、「人間は生き、人間はおちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない」と書き、戦後の混迷した日本に大きな衝撃をもたらした坂口安吾の「堕落論」の姉妹編とも言われる小説だ。安吾の戦時中の体験をもとに、新聞社に勤める青年が隣家の娘を連れ、空襲の中を逃れていくさまを描き、「映像化は不可能」とされていた観念的な物語を、監督は、鮮やかに映像の中に昇華させた。その時脳裏に焼き付いたビジュアルは、稲垣さんの“美の礎”になっているという。

それから20年近い歳月が経った2018年。稲垣さんのもとに、「手塚眞監督が、父である手塚治虫さんの“禁断の問題作”とされている『ばるぼら』が映画化することになった。主演の美倉洋介を演じてもらえませんか?」というオファーがあった。

稲垣 僕は、グループでデビューする以前に、実はお芝居の世界に先に足を踏み入れているんです。……具体的にいうと朝ドラですが、CDデビュー前に映画にも出演させていただいていて、当時から映画の現場は「ずっとやっていきたいな」と思えるような、強烈な引力のある場所でした。お芝居の楽しさとか、新しい自分を常に引き出してくれたのが映画だと思っていて、観るのも演じるのも好きなんです。

お話を頂いたのは、大きな事務所を離れて環境が変わって、新しいスタートを切っていた頃。今までの自分とは違う、観てくださる方の期待を、いい意味で裏切ることができるような作品になりそうだという期待感があって、「これはありがたいお話だ」と思いました。撮影監督がずっと大好きだったクリストファー・ドイルさんで、共演が二階堂さんだと伺って。断る理由がなかったです。

Photo by 杉浦 弘樹(foto)

二階堂 いままで、ミューズのような役をさせて頂いたことはあったのですが、今回は、“ミューズ”というか、芸術家の願望の象徴のような役だったので、正直、最後まで“ばるぼら”という役柄について理解はできなかったです。「よくわからないな」と思いながら撮影して、結局最後までよくわからなかった(笑)。でも、今思うと、そこで自我を持たなかったことが良かったのかもしれません。もし自我を持ってしまうと、それを保てなくなったんじゃないかと思います。本当に、「まな板の上の鯉」みたいな状態でした。

Photo by 杉浦 弘樹(foto)

稲垣 実はさっきその話を聞いたんですが、僕としてはかなり意外でした。撮影3日目ぐらいには、「迷ってます」というようなことをおっしゃっていて、「言われてみれば僕もそうだ」と思っていた。でも、まさか最後まで全部そういう感覚だったなんて。

ただ、僕としても今思うと、そうやって迷いながらやっているからこそ、ばるぼららしくて、幻想的に見えたのかな、と。迷いながらやっていることが魅力的に映る女優さんて素敵じゃないですか。たぶん、二階堂さんは子役のように、動物のように、欲なく演じていたんでしょうね。だから、お話を伺って僕は、「なるほどな」と思いました。彼女は、ばるぼらにしか見えなかったし、僕はそれに引っ張られたというか、巻き込まれたというか、翻弄されたというか(笑)。結果として、それがよかったんだと思います。