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ノーベル賞受賞会見で小柴昌俊さんを二度怒らせた「私のひと言」

思わず「禁断の質問」をした記者が悼む
去る11月12日、太陽系外からのニュートリノの観測に初めて成功し、「ニュートリノ天文学」という新しい学問分野を切り拓いた小柴昌俊さんが逝去されました。

『ニュートリノ天体物理学入門』をはじめとする著作をお書きくださるなど、ブルーバックス編集部もたいへんお世話になってきた方です。衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。

追悼の意を込めて、2002年のノーベル賞受賞式を同行取材した科学ジャーナリスト・三島勇さんに緊急寄稿をお願いしました。

北欧最古の大学での名講演

「ニュートリノ天文学」を開拓し、2002年のノーベル物理学賞を受賞した東京大学特別栄誉教授の小柴昌俊さんが亡くなったことを、11月13日のNHKのニュース速報で知った。享年94歳。老衰だった。

ニュートリノ研究の大きな道筋をつくった一流の研究者であったことはもちろん、後継者を育て上げた名伯楽であったことでも知られる。

突然の訃報に接し、驚きと同時に、北欧での記憶が呼び覚まされた。2002年のノーベル賞授賞式後、北欧最古の大学とされるスウェーデンのウプサラ大学で小柴さんがおこなった講演のことだ。

私は当時、読売新聞科学部の記者として、小柴さんに同行取材していた。2002年12月13日、外は極寒で、厚いコートと手袋、帽子がないと凍えそうなほどだった。しかし、ウプサラ大学の階段教室は、学生らで通路や階段まで埋まり、むせ返るような熱気に包まれていた。

ウプサラ大学は1477年に設立された北欧最古の大学といわれる Photo by Borisb17/iStock

授賞式を終え、関連行事も残り少なくなったこともあってか、小柴さんはリラックスしていた。やがて登壇した小柴さんは、発音とアクセントが明瞭な英語で、ゆっくりと語り始めた。

話の内容はもちろん、いかにして超新星爆発で放出されたニュートリノを捉えたかというものだった。振り返ってみれば、私にとって、この講演の内容こそが、ニュートリノ天文学を理解するのに最も役立つものだった。

万雷の拍手に包まれて

だんだんと口調に熱を帯びた小柴さんは、映し出されたスライドを指示棒で何度も指し示したり、演台の周りを歩き回ったりしていた。表情は若々しく、心から講演を楽しんでいるように見えた。

講演者の声以外、物音一つしない。100人を超える聴衆のすべての視線が、小柴さんに注がれていた。演台の前に立つ凛(りん)とした姿は、私が勝手に思い描いていた「頑固で怖い研究者」という“先入観”を崩し始め、自然と敬意を沸き上がらせるのに十分だった。

講演が終わると、拍手が鳴りやまず、立ち上がって「すばらしい」と声を上げる人もいた。気がつけば、私も思わず立ち上がって拍手をしていた。堂々とした小柴さんと、その講演の内容を高く評価して万雷の拍手で包んでくれる学生たちを見て、誇らしかった。

小柴さんは、東京大学理学部を卒業後、米ロチェスター大学大学院で学び、宇宙線の研究に入った。東京大学に戻り、理学部の助教授、教授に就く。

小柴研究室に入った故・戸塚洋二氏や梶田隆章氏(ニュートリノに質量があることを発見したとして、2015年のノーベル物理学賞を受賞)らを育てるとともに、岐阜県・飛騨山中にある神岡鉱山跡の地下1000メートルに純水3000トンで満たした観測装置「カミオカンデ」を建設し、1983年から「大統一理論」が予言している「陽子崩壊」という現象を観測し始めた。

小柴さんの著書『ニュートリノ天体物理学入門』の表紙にはカミオカンデのタンク内で撮影された写真が使われている

しかし、当初の計画だった陽子崩壊の観測は困難であることが早々とわかり、太陽から発せられている太陽ニュートリノを観測しようと、カミオカンデの観測精度を高める改修工事に取り組んだ。水を満たすタンク上面に鉄板を張り、タンク水が坑内の空気に触れないようにする機密工事が1987年2月に実施される予定だったが、同年4月に延期になった。延期の間も、観測装置は働き続けた。

その期間中に、思わぬ事態が訪れた。