東洋王座を奪い返した三迫仁志と野口修ほか野口拳闘クラブの仲間たち

「日本のプロ格闘技の源流」を創ったプロモーター・野口修の壮絶人生

『評伝 野口修』はこうして生まれた

「謎多きプロモーター」

「K-1の創始者である石井館長をして『この人がいなければ、K-1はなかったかもしれない』と言わしめた人物であり、あの五木ひろしを世に出した人物です。日本の格闘技の歴史に、そして芸能史に多大な功績を残したことは間違いないのに、どうして世間はこの人について何も知らないのか。それがもどかしかった。しかも、彼について詳しく書かれた本もない。

だったら自分が書くしかない――そう心に決めて、国会図書館に通って資料を集め、話をしてくれる人にとにかく会いに行きました。重要な証言者に会うために、タイまで取材にも行きました。気がついたら、取材開始から出版までに、10年が経っていました」

まさに圧巻、というほかない。二段組560ページの本書で描かれるのは、一人の男の生涯だ。老舗のボクシングジム「野口ジム」創始者・野口進の息子であり、キックボクシングの創始者にしてキックの鬼・沢村忠の生みの親、そして五木ひろしを世に送り出した男……。

いくつもの肩書を持つ「謎多き男」野口修の生涯を追ったのは、放送作家であり、長年格闘技の興行でリングアナウンサーを務める細田昌志氏。足しげく野口氏のもとに通い、話を聞き、事実関係の裏付けを確認するために資料を漁り、重要人物に会う――10年にも及ぶ気の遠くなるような取材を続け、『沢村忠に真空を飛ばせた男 昭和のプロモーター・野口修評伝』を書き上げた。担当していた人気番組の構成の仕事も、この本を書くために、すべて辞めてしまったという。

10月29日に発売されたばかりの新著

なぜ細田氏は野口修という男に魅せられ、彼の生涯を描くことにしたのか――。

 

フィクサー、米軍、元総理…

細田:野口修という人は、格闘技の世界でも知る人ぞ知る存在でした。三迫仁志(のちの三迫ジム会長)や金平正紀(のちの協栄ジム会長)を輩出した野口ジムの創始者・野口進の息子であり、キックボクシングという競技を作った人物であることは、一部の格闘技マニアには知られています。

「真空飛び膝蹴り」で知られる沢村忠を主人公にした梶原一騎原作の『キックの鬼』を読んだことのある人なら、作中に沢村のマネージャーとして登場するので、知っている人もいるでしょう。また、芸能に詳しい人なら、五木ひろしを世に出した人物として認識しているかもしれない。

これだけでも、野口修は昭和の格闘技史・芸能史に名を残すべき人物であることは間違いない。にもかかわらず、彼について書いている本や作品が、ほとんどない。端的にいえば、世の中にまったく伝わっていない。いったいなぜなのか。

私は過去に『サムライTV』(格闘技専門のCSチャンネル)のキャスターをやっていたし、キックボクシングの興行などでリングアナウンサーを務めていたので、彼のことは知ってはいた。それに、ある時期から後楽園ホールで野口さんの姿をよく見かけるようになった。そこから、その存在を強く意識するようになったんです。

そこで、いまから10年前の春のある日、後楽園ホールに来ていた野口さんに話しかけたんです。野口さんの人生を知りたい。最終的には本を書きたいと思っている。お話を聞かせていただけえませんか、と。

野口さんは快諾してくれました。いま考えると、自分に関心を持ってくれる人が現れるのを待っていたのかもしれません。それ以降、野口さんとたびたび会い、彼の人生を紐解いていくことにしたんです。

ところが――。激動の昭和を生き抜いた男の人生を追うのは、生半可なものではありませんでした。