日本のメディアが絶対に報じない、中国・三峡ダムの真実

ダム建設の背後にあった壮大な「計画」
羽根 次郎 プロフィール

立ち退き人口を、重慶市の産業発展において重要な労働力として位置づけていく流れは、汪洋の後任者である薄熙来にも受け継がれた。薄熙来時代は農村人口の都市戸籍取得を促す政策が、住宅価格抑制政策などと並び「重慶モデル」としてパッケージ化され、全国規模での不動産価格高騰とは一線を画すことを意図した姿勢は民衆的人気を博していた。

だが、実際に背負っていた課題は上述のように、汪洋時代の課題との連続性のなかで語られるべきものであった。三峡ダムの建設が、山間部住民の貧困問題や重慶市の産業開発への取り組みと連動していた点は見逃すべきではない。

重慶市共産党委員会書記時代の薄熙来氏[Photo by gettyimages]
 

「重慶モデル」では、2020年までにもともと重慶に住んでいた農民工1000万人に都市戸籍を与えることが目標とされた。ただ、2000年時点で重慶市の非識字者は212万人、非識字率は8.9%であり、また最終学歴は小学校卒業が43.4%、中学校卒業が29.5%であった。

こうした農村の人々が急激に都市へと流入することでもたらされる社会不安について、日本ではなかなか想像するのが難しい。貧困や教育といった課題を抱えたまま、立ち退き人口の大量受け入れを求められた重慶市が、大混乱が起こることを危惧したのも理解できないことではなかった。そこで共産党を中心に、裏社会や腐敗に対する徹底的な取締りと、毛沢東時代の革命歌の称揚キャンペーンが繰り広げられた。

こうした動員手法を現象面において見れば、左派ポピュリズム批判によく見られるような「法治をなおざりに扱った毛沢東政治の復活」の類の解釈も現れてこよう。

しかし、価値観が異なる人々の急増によって生じる都市部社会での「混乱」や「困惑」を踏まえたとき、元来の都市部住民と流入農民とが共通して評価する「最大公約数」として、裏社会や腐敗の過酷な取締りと、毛沢東時代の称揚を持ち出すことで社会の再統合が図られることもまた、理解できないことではないのだ。