日本のメディアが絶対に報じない、中国・三峡ダムの真実

ダム建設の背後にあった壮大な「計画」
羽根 次郎 プロフィール

内需拡大と西部開発(=内陸開発)を目指す「西部大開発」構想が2000年代に始まった背景には、(1)不安定さを増す世界経済への依存度を内需拡大で下げる狙いと、(2)海外の余剰マネーを国内開発に誘致する狙いがあった。

2001年にWTO加盟を控えた中国では、2000年1月16日の国務院通達で「国内外の資金の導入」が謳われ、海外資金の西部開発への投入が積極化していた。西部開発は、内需拡大、外資導入、WTO加盟、立ち退き問題など、複雑な要素を抱えていたわけである。

「戸籍格差」を抱えた農村と都市

ダム建設工事が第2期から第3期に移行した2003年、重慶市は都市と農村の一体化計画(「城郷統籌計画」)の一環として、それまで厳しく制限されてきた戸籍変更を一部緩和する「百鎮工程」という政策を打ち出す。

中国では毛沢東時代より、都市と農村(正確には非都市)との間で戸籍が厳格に区別されていたが、その緩和を企図するこの一体化計画は2007年3月に胡錦濤が提出した「三一四戦略」によって加速されることとなった。同時期に重慶市党書記であった汪洋(現中国共産党中央政治局常務委員会委員)も記者会見にて以下のように発言している。

当時重慶市の共産党書記だった汪洋氏「Photo by gettyimages」
 

ダム地区の発展を加速させることこそが、都市と農村の一体化における重点であり、民衆を富ませ重慶の産業を振興させる上での要点であり、ダム地区における産業発展と移民の就業問題の解決に注力することを都市と農村の一体的発展における最重要任務としなければならない。

2012年までにダム地区では、優位性と特色のある産業体系を基本的に形成できるよう努力し、就業能力を有する都市移民の就業を基本的に実現させ、農村移民の余剰労働力の就業形態を基本的に転化させ、100万の移民が少しずつ豊かになり、1000万のダム地区群衆が安心して暮らせるような情況を確保しなければならない