日本のメディアが絶対に報じない、中国・三峡ダムの真実

ダム建設の背後にあった壮大な「計画」
羽根 次郎 プロフィール

直轄四都市とは、北京、天津、上海、そして重慶だ。ただ、他の三都市が中華民国の時代より直轄市であったのに対して、重慶のみが1997年にようやく直轄市に指定された。この年は、1994年に始まった三峡ダム建設の1期工事を継いで、2期工事が始まった年でもある。長江は堰き止められ、そのことによる生態系破壊への懸念が日本でも盛んに議論されていたのもこの頃だ。

ところで、中国の「市」と「県」はそれぞれ日本の「県」と「市」に相当するアベコベの関係だ。したがって、中国の「市」の面積は日本の「県」並みになるのだが、それにしても重慶市の面積は大きく、上海市の約13倍、北海道とほぼ同じサイズにもなる。

直轄四都市の面積・人口・人口密度(筆者作成)
 

実は、直轄市化される1997年以前の旧重慶市の面積は、上海市とさほど変わらない6,268㎢しかなかった。直轄市化に際して、「三峡ダム地区(三峡庫区)」と「武陵山地地区(武陵山区)」が新重慶市に合併されたことで、巨大化したのだ。

三峡ダム建設に当たって日本で喧伝されていたのは、生態系破壊や技術的制約についての問題であった。しかし最大の問題は、全長500km(!)を超える貯水池の建設に必要な、沿岸住民の立ち退きであった。それは、優に100万人を超える大規模なものだった。

1997年の直轄化によって40の区と県を抱えることになった新重慶市もまた、この膨大な立ち退き人口のうち85%分の移住地確保の問題を抱えることとなった。彼らは「三峡移民」と呼ばれ、移住先の新天地で職を探すことも同時に求められたため、問題の解決は国家的プロジェクトとならざるをえず、それがまさに重慶市の直轄市化という形で現れたわけである。