中曽根康弘元首相[Photo by gettyimages]

中曽根康弘、スキャンダルの「もみ消し工作」をアメリカに依頼していた…!

アメリカの公文書に残っていた「悪行」
1980年代に首相を務め、国鉄民営化や日米関係改善など様々な功績を残した政治家・中曽根康弘。ロッキード事件が発覚した1976年には自民党幹事長だったが、その黒幕だったフィクサー児玉誉士夫と親しく、事件の「揉み消し」を図っていたことが明らかになった。中曽根康弘の知られざる正体について、ノンフィクション大作『ロッキード疑獄』から、一部編集のうえ紹介する。

不可解な「ノーコメント」

ロッキード事件当時の日本では、三木武夫首相をはじめ、政治家もメディアも一斉に「真相解明」の声を上げたかに見えた。だが、現実はそうでもなかった。

当時の自民党幹事長、中曽根康弘はほぼ「ノーコメント」で通した、と当時前尾繁三郎衆院議長秘書だった平野貞夫(後に参院議員)は振り返っている(注1)。平野は政界の動きをつぶさに観察していた。ロッキード事件との関わりを全面否定していた田中角栄はともかく、中曽根が「ノーコメント」とは理解しにくい。

三木武夫元首相[Photo by gettyimages]
 

与党を預かる中曽根幹事長は、表面的には、しっかり三木首相とスクラムを組んでいたように見えた。しかし舞台裏では、ロッキード事件への対応で三木とは立場が違っていたのだ。「クリーン三木」は断固、事件を徹底解明する立場で、田中との最後の闘いに取り組もうとしていた。

他方、当時児玉の秘書をしていた太刀川恒夫は、かつて中曽根の書生をしており、中曽根と「家族ぐるみの付き合い」をしていた(注2)。

それだけではない。1972年当時のロッキード社社長、コーチャンは新型旅客機トライスターの売り込み工作が危機に瀕した時、児玉を通じて中曽根に加勢を依頼していた。