1817年に出版された寛政暦(伊勢暦)

伊能忠敬が師事した江戸の天文学者・高橋至時をご存じか?

サイエンス365days

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江戸の暦を作った天文学者

1764年のこの日(12月22日)、天文学者の高橋至時(たかはし・よしとき)が大坂に生まれました。

 

至時は江戸時代の寛政改暦において中心的な役割を果たしたことで知られています。

大坂定番同心(大阪城の警備などを担当する幕府の役人)の家に生まれた至時は数学や暦学に興味を持ち、のちに暦学の分野で彼と並び称されることとなる間重富(はざま・しげとみ)と前後して麻田剛立(あさだ・ごうりゅう)の門下に入り天文学を学びます。浅田剛立は当時使用されていた「宝暦暦」という暦の誤りを指摘し、日食の予言を的中させたことで世間から高く評価された天文学者です。

高橋と間は浅田の下で当時最も優れた暦学書であった『暦象考成後編』 について研究し、この噂は幕府の耳に届くこととなります。

そして1795年にはついに幕府天文方に命じられることとなりました。当時、幕府は「宝暦暦」の誤りを正すことに躍起になっており、そこで至時に白羽の矢が立ったのです。彼と間重富は協力して暦の製作にあたり、わずか2年で新たな暦・寛政暦を完成させました。

大任を終えた至時は西洋的な暦学書を輸入しようとフランスの天文学者ラランドの『天文書』をオランダ語訳するなど活躍しましたが、晩年は肺を患い、41歳でその生涯を終えました。

ちなみに、高橋至時のもう一つの大きな業績としては測量家の伊能忠敬を指導し、彼の日本地図完成に寄与したことが挙げられます。

伊能忠敬の『国郡全図』 photo by Getty Images

当時自分より高齢の忠敬が弟子入りした時はその学力に不安を抱いていたといわれますが、その心配が杞憂に終わったことは忠敬の業績を見れば明らかです。

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