飲み屋客は知らない…新宿・思い出横丁が直面している「3つの苦悩」

【ルポ】昭和の横丁探訪記

戦後以来の飲み屋街をたずね、飲み歩き、古老たちの昔話を聞き集めてきた文筆家・フリート横田氏。令和の今も、昭和のたたずまいを残す「横丁」があると言います。その歴史をひもとき、現在の姿も見つめるエッセイ。

キングオブ戦後横丁

さて今回は、横丁といえば即座に名のあがる新宿駅前の路地へ向かう。「新宿西口 思い出横丁」である。ときどき私も一杯やる店がある。うなぎ串をかじりながら梅シロップをたらしたコップ酒をすすったり、ニラレバ炒めをがっつきながら瓶ビールで流し込んだり。

いずれも一人か二人で行く。狭い、カウンターだけの店ばかりなのだ。ひしめく軒の低い木造二階家の、ひなびの味を眺め楽しみながら狭い路地に進み、戸もないカウンター席の片隅につく。路地に背中をさらして一人酒をはじめれば、頭の奥がしびれるほどの癒しが訪れる。こんなありがたい空間が、日本最大規模のターミナル駅徒歩すぐの場所に残る。

このアーチを目にして、奥へ入らずにおれるかい
 

米軍関係に知り合いがいたから。終戦後すぐのころは、そこから親父が残飯をもらってきてね。でかい鍋で煮たって。食べられるところ食べられないところをわけてね

横丁内の寿司店、「寿司辰」の大将にして、横丁の組合(新宿西口商店街振興組合)で理事長をつとめる村上健二さんは笑う。父である先代店主から伝え聞いている横丁黎明期の話をしてくれた。

終戦直後、進駐軍に接収され下士官用食堂が設けられていた新宿伊勢丹。先代はそこから残飯を仕入れ「栄養シチュー」と名付け、コッペパンを添えて売り出してみると大当たり。「一斗缶にお札を踏んずけて入れても溢れるほど」人気となった。

配給制度がほぼ崩壊していた時期、吸い殻や、ときには避妊具まで混じる進駐軍の生ゴミさえも貴重な食料だった。当時からターミナル駅だった新宿には食い物や生活用品を求める人々が大勢行き来していた。