戦艦「比叡」(昭和14年)

【戦場秘話】たった一人の洋上漂流 戦艦「比叡」乗組員の奇跡の生還劇

絶体絶命のときに聞こえてきた声とは
78年前の昭和17(1942)年11月12日から15日にかけ、南太平洋・ソロモン諸島のガダルカナル島沖で、日米艦隊が激突(第三次ソロモン海戦)、日本側は戦艦「比叡」「霧島」ほかの艦船を失った。戦前は天皇の御召艦をつとめるなど、国民にも広く親しまれた「比叡」は、太平洋戦争で日本海軍が失った最初の戦艦となった。その「比叡」艦橋から、戦闘中、被弾の衝撃で暗夜の海に転落、奇跡の生還を果たした男がいた――。
 

激戦の海・ソロモンに消えた戦艦「比叡」

「被弾の衝撃で、私は艦橋から海に転落しました。島影ひとつ見えない闇夜の海面に放り出され、一人漂う不安と孤独感はひとしおでした……」

――その人と会ったのは、靖国神社で毎年、挙行されていた「海軍ソロモン会」の慰霊祭の席だった。戦後50年を過ぎてほどない頃のことである。私は、同会会長で、戦時中、南太平洋のソロモン諸島を転戦し、ブーゲンビル島で終戦を迎えた前田茂さん(戦後・弁護士)のお誘いで、この慰霊祭に列席していた。

「海軍ソロモン会」は、ガダルカナル島をめぐる日米の戦いで最前線となり、ガダルカナル島失陥後も、島伝いに侵攻してくる米軍との間で激戦が続いたソロモン諸島で戦った元将兵の戦友会である。皆、敵ばかりではなく飢餓や風土病とも戦わねばならない極限の戦場から生還した人たちで、戦時中、20代だった将兵は当時80歳前後の高齢になっていたが、それでも全国から数十名ものかつての戦友や遺族が集った。

もう20年以上も前のことなので、「その人」の面影も、私のなかでもはや定かではない。だが、このとき聞かされた壮絶な体験談は、いまなお心に焼きついている。戦艦「比叡」乗組の通信科員だった小松崎秋夫さん。「比叡」が沈没したのは、開戦から1年に満たない昭和17(1942)年11月13日、「第三次ソロモン海戦」と呼ばれる戦いでのことである。日本海軍の戦艦として、太平洋戦争最初の喪失艦だった。

ソロモン諸島地図。右寄り、四角く囲ってある部分が、第三次ソロモン海戦の戦場となった

「比叡」の艦体は、2019年、アメリカの調査チームによって、ガダルカナル島近くのサボ島北西、水深985メートルの地点で沈んでいるのが発見された。ガダルカナル島とサボ島、フロリダ諸島に囲まれたこの狭い海域は、日本と連合軍の多くの艦船が沈んでいることから、「鉄底海峡(アイアンボトム・サウンド)と呼ばれている。今回、古い取材ノートのなかから、改めて小松崎さんの話をひもとき、78年前、ソロモンの海に消えた「比叡」への手向けとともに、奇跡の生還を果たした男の戦いを記録しておきたい。