北京の朝8時――地下鉄駅から湧き出してきた人々が、再配置運搬車から降ろすのを待ちきれないようにシェアサイクルに群がる。
天津――こちらでは大量のシェアサイクルが地下鉄駅入り口を塞ぐ。整理されて並んではいるが、いつか見た光景である。
シェアサイクルは、中国の社会経済の今を反映する交通手段だ。
ITの社会的応用が進み、スマホを使うキャッシュレス決済が定着した2010年代半ばに、それは社会実験をスキップして、黄色いofo、オレンジ色のmobikeなどの民間事業者によって「勝手に」事業化された。
そして地方政府の黙認の下、「放置自由」を売りに、大都市を中心に16年から17年にかけて爆発的に普及した。運用先を求める2兆円以上の過剰資金がこのビジネスに流れ込んだ。
当時、中国では過剰生産能力処理のための「供給側構造性改革」の最中にあり、世界生産の4分の3を担う自転車業界も同じ苦しみの中にいた。
そこに降って湧いたのがシェアブームだった。
自転車メーカーは自社ブランドを放棄、シェア事業者向け供給に急旋回した。ブームが内需を押し上げ、過剰生産能力が一挙に解消された。
だが、ユーザーによる自転車の毀損行為、放置による通行妨害等の問題から、ピークの17年に地方政府が規制に乗り出すと、資金流入は細り、バブルはわずか1年で破裂した。回収再配置コストを織り込んだ利益モデルが成り立っていなかった。
最盛期に70あった色とりどりの事業者の破綻、退出が相次ぎ、事業者数は半年単位で半分、そしてまた半分と減っていた。
ofoは実質経営破綻し、mobikeは18年にO2O(オンライン・トゥー・オフライン)プラットフォームの「美団点評」に買収され、シェアを分けあった二大ブランドが市場から退場することになった。
調達自転車の捌け口としての海外展開も全て撤収となった。そして取引先とユーザーには回収不能債権が残った。
ofoの負債は450~700億円に上るとも言われ、その一部となるデポジット返還と代金支払い請求の訴訟がなお続く。