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日本の物理学の礎を築いた天才・長岡半太郎の革新的な発想

サイエンス365days

"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

原子構造の理解につながる先進的理論

1903年の今日(12月5日)、長岡半太郎(ながおか・はんたろう、1865-1950)が土星型原子モデルを発表しました。

幕末の大村藩(現・長崎県大村市)で生まれた長岡は、文明開化の波に乗って最新の物理学(このころまで「窮理学」と呼ばれていた)を学ぶことを決意しました。17歳で東京大学理学部に進学し、8年後に助教授に就任すると、ドイツに留学して研究を進めました。

帰国後に東大教授となった長岡は1903年の東京数学物学会(現・日本物理学会)の講演で「土星型原子モデル」について発表しました。このモデルは、原子の中心にある正電荷の核の周りを電子が廻っているというものです。ラザフォードの「太陽系型(惑星型)モデル」やボーアの原子模型が提唱されたのは1910年代になってからのことで、長岡の理論はヨーロッパの先を行くきわめて先進的なものでした。

60歳で教授職を退くと、長岡は学界の重鎮として、大阪帝国大学(現・大阪大学)の初代総長や貴族院議員といった要職を歴任しました。長岡はノーベル賞の選考委員にも選ばれ、教え子の湯川秀樹に推薦を出したことで、彼が日本人初のノーベル賞受賞者となる道筋をつけました。

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