人はその起源から社会の中で生活している、社会性の生き物である。社会の中で共同すること、仕事を分担すること、成果を分かち合うこと、そうしたことが人類の発展を支えてきたと言えるだろう。また近代以降は、学校というシステムを作ることで、先人たちの成果を効率的に伝達できるようになった。このように社会における共同、分担、共有、伝達は、人の知性を語ることに欠かせないだと思う。
でもそれで人間万歳と誇っていいのだろうか。ブレーン・ストーミングを出発点として、共同の裏側を考えてみたい。
ブレーンストーミングは、まさに共同によってより高い生産性、独自性を持つアイディアを創出するための方法として有名である。そのために(1)判断延期、(2)自由奔放、(3)質より量、(4)結合、改善、という4つのルールを守ることが求められる。
ではブレーンストーミングによって生産性、多様性が高まるのだろうか。実はそうではないことがわかっている。1980年代よりも前に行われたブレーンストーミングの有効性を検証する22の実験中でブレーンストーミングが有効であったという研究は一つもない。そして80パーセント以上の研究では、ブレーンストーミングがネガティブな影響を与えていることが確認された。
どうしてそのようなことが起こるのだろうか。これについてはさまざまな説があり、よくわかっていない部分も多いのだが列挙してみる(この部分については亀田達也『合議の知を求めて:グループの意思決定』(共立出版)を参考にさせていただいた)。
一つはブロッキングと呼ばれている。これは単純だ。同時に複数人が発言することはできないので、別の人が話している最中はそれを聞いていなければならない。そして相手のアイディアを理解しようとしているうちに自分のアイディアを忘れてしまったり、同じ意見かなと思い、発言をやめてしまったり、ということなどが起こる。つまり自分の発言が他者の発言によってブロックされてしまうわけである。