一攫千金を夢見て「クジラの町」から世界へ渡った日本人移民の「戦争の記憶」

アメリカでは「反日感情」が高まり…
ヒトミ☆クバーナ プロフィール

出稼ぎで資金を蓄えて帰国したが…

五郎さんはベネズエラでアイスクリーム屋を開いた後、化粧品を作って販売し始めた。

ベネズエラの仕事場と思われる写真。現地の人と共に働いていたようだ

出稼ぎで資金を蓄えることができた五郎さん一家は、昭和8年(1933年)に帰国する。6歳まで海外で育ったオルガさんは最初、周囲の日本語が理解できなかったという。幼稚園で「ママ、ママ」と母親を呼んでも「この子『まんま』ばっかり言うてる」と、食べ物のことと勘違いされていたそうだ。

オルガさん5歳。撮影場所は南米のウルグアイ
 

五郎さんは化粧品屋の利益を元に船を買い、仲間と沈没船を引き上げるサルベージの会社を立ち上げた。また昭和16年(1941年)には、親戚の住むパラオ諸島へも出かけている。

和歌山とオーストラリアの間に浮かぶパラオ共和国は、第一次世界大戦後の1920年から日本の委任統治下にあった。当時2万人以上の日本人が住んでおり、伊津子さんのいとこで後に夫となる吉田岩男さんも、中学卒業までパラオで暮らしている。五郎さんが現地から航空便で送ってくれた青いバナナを、伊津子さんらは米びつで熟成させ食べていた。

1941年4月、パラオの集会所で。左端が五郎さん

同じ年、小学6年生の伊津子さんは大阪に転校した。五郎さんの事業は順調で、中国にも会社を持つに至り、裕福な暮らしだったという。しかし学校には1か月も行けなかった。12月8日に真珠湾攻撃が起こり、日米が開戦したのだ。

大阪の家や会社は空襲でなくなり、一家はみな無事だったものの、戦後は別荘だった紀南の家で暮らすことになった。

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