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ネオリベラリズムはいまゾンビ的段階…脱却への道はどこに?

「経済」に生活を殺されないために
ネオリベラリズムはいま、ゾンビ的段階へ突入している。その正当性なき「経済」のロジックによって生活を犠牲にされないために、私たちは何ができるのか。デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ』の訳者にして社会思想史家の酒井隆史氏による最新論考。

ネオリベラリズムが生き延びてきた理由

ネオリベラリズムはその誕生からして一枚岩ではなかった。むしろ一枚岩ではないから、さまざまな状況でさまざまな時代に合わせて変幻自在に生き延びてきた。

ネオリベラリズムには地方的差異もあるが、時間的差異もある。つまり段階がある。

現在のネオリベラリズム研究は、20世紀はじめから長年にわたる雌伏段階を脱却し、1970年代終わりに大々的に支配的理念に躍り出て以降の変遷をおおよそ三段階にわけている。そして現在のそれは三段階目にあたる。

ここでは筆者なりにこうまとめてみたい。

 

戦闘的ネオリベラリズム

最初は、戦闘的ネオリベラリズムの段階。1979年から1989年まで。サッチャー、レーガン、そして日本では中曽根の時代である。

かれらは資本主義的市場にとって障害になるものをすべて「既得権益」の巣窟とみなし、解体を呼号して、実際、解体していった。

規範的ネオリベラリズム

次に、規範的ネオリベラリズムの段階。1989年から2008年まで。ネオリベラリズムの黄金期、「アメリカン・ヘゲモニーのベルエポック」ともいわれる1990年代である。

冷戦崩壊で「現存社会主義」圏も消失するとともに、かつての国内の敵もすべてねじ伏せて「TINA(オルタナティヴは存在しない)」のスローガンもあますところなく実現し、ネオリベラリズムが勝利の凱歌を揚げていた時代である。

金融危機による正当性の喪失

ところが、その栄華も長くはつづかなかった。2008年の金融危機によって、ネオリベラリズムは、そのイデオロギー的正当性のなにもかもを失った。

たとえば、あれほど「競争に耐えないものは市場から去れ」と叫んでいたにもかかわらず、いざみずからの失敗には政府による巨額の救済をえて生き延びた。

「利益はわがもの、リスクは市民のもの」というわけで、「公正なる市場社会」は、その数々の看板に反して「金持ちのための社会主義」であることが判明した。

それに、そもそもこの市場的競争秩序の要であった評価機関の腐敗もあきらかになり、信頼を喪失した。