菅政権が政策として「不妊治療の無償化」を挙げ、改めて注目を集めている。近年、不妊治療のひとつ「体外受精」による妊娠・出産は増加。朝日新聞デジタルによると、日本産婦人科学会の発表で、2018年に誕生した子の16人にひとりが体外受精による出産だという。

その合計人数は5万6979人にのぼる。しかし一方で「体外受精」は公的医療保険の対象外で1回数十万円かかり、回数を重ねれば重ねるほど自己負担も高額となるため、妊娠にいたるまえに治療を諦めざるをえない夫婦も多い。菅政権はそのような現状を踏まえ、少子化対策として「不妊治療の無償化」を掲げているのだ。

そんな中、2年間の不妊治療を経て、養子を迎えることを決断した夫婦がいる。嶺かおるさんは、34歳で事実婚、不妊治療を経て、36歳で不妊治療を終わらせた。多様性が叫ばれる今の社会でもなお、「事実婚」や「養子縁組」を選択する人は少ないなか、なぜその生き方を選んだのだろうか。

養子縁組で実際に子どもを迎えるまでに乗り越えた様々な困難や、女性としての葛藤を率直に綴る新連載。第1回目は、パートナーとの出会いから、なぜ事実婚を選択したかを語る――。

人生は思った通りに進まない

「なぜ子どもが欲しいのか」。不妊治療をやめる決断と特別養子縁組の検討にあたって、私が何度も自分自身に問い、そして夫婦で話し合ったテーマである。もし、結婚後の早いタイミングで妊娠し、出産を迎えていたならば、これほど私は深く考えることはなかったかもしれない。

お金と時間と労力とをかけてまで、なぜ自分たちは子どもを欲するのか。これは、そんな自問自答を繰り返しながら、30代半ばでの結婚から不妊治療を経て、特別養子縁組で養子を迎えるまでの記録である。

第一回目は、私自身の話を自己紹介がてらしたいと思う。私は、1981年、いわゆるポスト団塊、松坂世代として東京で生まれて東京で育った。幼い頃から結婚や子どもを産むことを当たり前だと思っていた。

と書くと家族愛溢れる環境で育ったように思うかもしれないが、20歳すぎてからであったものの両親は離婚したし、親戚を見渡しても離婚率の高い家庭環境で育った。逆に憧れがあったのだろう。26歳で結婚して28歳で第一子、31歳で第二子を出産、などという家庭計画を思い描いていたほどだ。

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有名私大を卒業後、ブラック企業で文字通り朝から晩まで6年半働いた。30歳を目前にした頃に「このままじゃいけない」と立ち止まり、縁あって小さな会社に転職。出張で全国に、年に1回程度は海外へも飛び回りながら、やりがいを感じられる仕事を楽しみ、女友達と夜な夜な飲み歩き、その様子をSNSで見せびらかす生活を送っていたのが32歳の頃だ。昔に立てた家庭計画では2人の子どもがいるはずだが、現実の32歳の私は2回の婚約破棄を経て完全なる独り身だった。