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研究者にも理解できない日本学術会議が国民に理解されるわけがない

分断と不透明のアカデミズムの象徴

何のため、誰を代表する組織か、知られていない

⽇本学術会議(以下、学術会議)を巡って様々な議論が続けられている。

⼤きな論点は2つ。学術会議から推薦された⼀部の新会員候補者の任命が政府によって拒否された事を巡る問題、そしてもう1つは学術会議の在り⽅そのものに関わるものだ。

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そして⾔うまでもなく、この2つの問題は本来全く性格を異にするもののはずだ。何故なら、前者はこの学術会議の任命制度において政府の⾃由裁量権がどこまであるか、を巡るものであり、後者は、学術会議の現状がどうであり、また本来どうであるかべきかを巡るものだからである。

当然の事ながら、仮に政府により任命拒否が制度的に認められるものだとしても、それにより学術会議の改⾰が⾏われるべきであるとする理由にはならないし、逆に政府により任命拒否が認められないとしても、学術会議の現状に問題があるのであれば、その改⾰は粛々と⾏われるべきものである。

さて、本稿で議論したいのは、前者ではなく後者、つまり、今の学術会議を巡る状況をどう考えるか、である。

この点について、巷で注目されているのは、軍事研究禁⽌や元号に対する反対など、過去の学術会議における政治⾊の強い活動についてである。これは⾔い換えるなら、そもそも学術会議に期待されている活動が何であり、その活動の領域がどこにあるべきかを巡る問題台だと言える。

当然の事ながら、仮に学術会議の活動として、政治⾊の強い活動が認められないなら、そこでは即ちリベラル⾊の強い活動のみならず、保守的な活動も認められない事になる。

 

とはいえ問題は、学術会議による政治色の強い活動の是非にのみ留まらない。なぜならこの活動領域を巡る問題が示すのは、今そもそもこの組織が何の為のものであり、またどの様に組織され、誰を代表しているのかが極めてあいまいになっている事だからである。