石抱の様子[『平凡社 大百科事典 第二巻』1927]

自白しなければ拷問…教科書に載らない、江戸時代の取り調べのリアル

拷問のやり過ぎは、人事評価に影響?

江戸の裁判、イメージと実態

江戸時代の裁判というと、役人達が過酷な拷問を行うイメージや、『遠山の金さん』の名裁判のように、個人的な裁量で判決を下すイメージがあるかもしれない。 

だが、これらは作り出されたイメージである。当時の裁判制度は厳格な手続きを経ていて、そういったイメージはあてはまらない。では、実際はどうだったのか? 江戸時代の裁判の流れを追ってみよう。

時代劇などで知られているように、江戸の町人に対する裁判は、南北の江戸町奉行所が管轄していた。警察や裁判にかかわる業務が注目されがちだが、町奉行所は行政・立法・司法・治安警察・消防・災害救助など町政全般を幅広く担当しており、トップである町奉行が一つ一つの裁判に実質的に関与することはなかった。白州での判決言い渡しなど、形式的には関与するが、判決に至る多くの過程は、配下の同心や与力が担っていたのである。

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容疑者逮捕から取り調べまで

では、容疑者が捕縛されると、どのような流れで処理されるのだろうか。平松義郎氏の研究をもとに、流れを追ってみよう。

まずは、町奉行所配下の役人で、捜査実務を担当している「同心」や彼らが私的に雇う「目明かし」(岡っ引)が、現場や町の自身番屋、名主の屋敷などで、捕縛した容疑者に対する下調べをおこなう。(自身番屋というのは、町の自衛のために番人が詰めた番屋のことである。)この下調べで、有罪の可能性が高いということになると、容疑者は町奉行所へ送られる。