「上級国民」への異常バッシング、日本で「加害者叩き」がここまで過熱する理由

日本は「世間」が強すぎる
佐藤 直樹 プロフィール

なにせこの国では、「モリ・カケ・桜」問題や、「検察庁法改正」問題に代表されるように、政権中枢が「法のルール」をねじ曲げて、仲間ウチの「世間」への利益供与に明け暮れてきた。つまり「法のルール」が正しく機能せず、大規模なモラルハザードがおきている。人身供犠としての「上級国民」バッシングは、まさに「法のルール」が機能不全におちいっている現実に対する、「世間」の苛立ちや怒りの象徴的な表現である。

 

もともと日本社会は、「世間」と社会の二重構造から成り立ってきた。いま生じている事態は、「世間」の肥大化と、「法のルール」の機能不全による社会の衰退である。「社会変革」という言葉はあるが、「世間変革」という言葉はない。つまり「世間」は所与であって、それが変えられるとは誰も思っていないのだ。

社会が衰退するということは、「社会は変えられるものだ」という希望の消失を意味する。私が危惧するのは、「法のルール」の機能不全による社会の衰退によって、「この先も何も変わらない」という絶望感や無力感が蔓延することだ。池袋暴走事故をめぐる被告人バッシングで図らずも露呈したのは、このきわめて憂慮すべき現実である。