「上級国民」への異常バッシング、日本で「加害者叩き」がここまで過熱する理由

日本は「世間」が強すぎる
佐藤 直樹 プロフィール

私にいわせれば答えは簡単で、それは日本独特の「世間」が存在するからだ。「世間」は『万葉集』の時代から存在し、そこに沢山の「世間のルール」があるために、これが日本人を縛る強い同調圧力を生み出してきた。じつは「世間」にあたる人的関係は、11〜12世紀までは欧州にも存在したのだが、主にキリスト教の浸透などの理由によって「世間」が否定され、その後社会(society)に変わった。

日本には明治期の1877年頃にsociety が輸入され、これが社会と翻訳されたが、伝統的な「世間」が解体しなかったために、現在でも社会はタテマエにすぎない。社会を支配するルールは端的に「法のルール」であるが、場合によっては、ホンネとしての「世間のルール」が、タテマエとしての「法のルール」を陵駕することがしばしばある。

「法のルール」が支配する欧米の社会では、犯罪はおかした個人のみに帰属するから、家族であっても一切の責任はないと考える。ところが伝統的な「世間のルール」が支配する日本においては、江戸時代の連座・縁座責任がそうだったように、家族も責任を負わなければならない。これが、現在でも加害者家族が「家族も同罪」「家族も死刑」とバッシングされる理由である。

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なぜ、「上級国民」という言説が氾濫したのか?

当初からこの事故では、被告人が逮捕されず任意捜査のまま 2月6日に在宅起訴されたことで、旧通産省の官僚という「上級国民」であるが故の特別扱いだ、との批判やバッシングがネットやメディアで溢れた。

しかし本件に限っていえば、刑事訴訟規則には、逃亡のおそれがなく証拠隠滅のおそれもないような場合、逮捕する必要はないと書いてある。逮捕は明確な人権侵害だから、法は適用の基準を厳格にしているのだ。被告人が事故で骨折し入院した状況下では、逃亡も証拠隠滅も不可能だから、任意捜査が特別扱いとまではいえないだろう。
 問題は、なぜ「上級国民」という言説が「世間」でこれほど支持を集め、これほど巷に氾濫したのかということである。