スピノザが示す「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」

私たちの「思考のOS」を入れ替えよ
國分 功一郎 プロフィール

ありえたかもしれない、もうひとつの近代

ただ、彼はほかの哲学者たちと少し違っています。

スピノザは近代哲学の成果を十分に吸収しつつも、その後近代が向かっていった方向とは別の方向を向きながら思索していたからです。

やや象徴的に、スピノザの哲学は「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」を示す哲学である、と言うことができます。

そのようにとらえる時、スピノザを読むことは、いま私たちが当たり前だと思っている物事や考え方が、決して当たり前ではないこと、別のあり方や考え方も充分にありうることを知る大きなきっかけとなるはずです。

たとえば人間の「自由」についてのスピノザの考え方は、私たちが囚われている常識を覆すものです。

現代では、「自由」という言葉は「新自由主義」のような仕方でしか使われなくなってしまいました。この経済体制が強いる過酷な自己責任論は多くの人に生きづらさを感じさせています。

「自由」の全く新しい概念を教えてくれるスピノザの哲学は、そうした社会をとらえ直すきっかけになります。

 

「思考のOS」を入れ替える

ただ、先ほども述べた通り、スピノザは基本的な考え方が私たちと少し違っています。ですから、この哲学を理解するためには多少注意が必要になります。

私事になりますが、私自身もかつて学生の頃、17世紀の政治思想や哲学への強い関心があったにもかかわらず、スピノザにはなかなか手を出せずにいました。

その頃スピノザはとても人気がありましたが、ほかの哲学者と違って、読んでもすぐには分からないのです。

しかし逆にその「分からなさ」が大きな魅力でもありました。どうにかして理解したいと思ったのが、私が20年前、スピノザを研究対象に選んだきっかけです。

私はスピノザ哲学を講じる際、学生に向けて、よくこんなたとえ話をします。

――たくさんの哲学者がいて、たくさんの哲学がある。それらをそれぞれ、スマホやパソコンのアプリ(アプリケーション)として考えることができる。

ある哲学を勉強して理解すれば、すなわち、そのアプリをあなたたちの頭の中に入れれば、それが動いていろいろなことを教えてくれる。

ところが、スピノザ哲学の場合はうまくそうならない。

なぜかというと、スピノザの場合、OS(オペレーティング・システム)が違うからだ。頭の中でスピノザ哲学を作動させるためには、思考のOS自体を入れ替えなければならない……。

「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」と言う時、私が思い描いているのは、このようなアプリの違いではない、OSの違いです。

スピノザを理解するには、考えを変えるのではなくて、考え方を変える必要があるのです。

そのことの意味を、全5章を通じて説明していきたいと思います。

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