中国テレビ番組で特集された「すべての人の点数化」

評価主義と言えば、筆者は中国の「信用スコア」が頭に浮かぶ。
最近テレビ番組で特集された中国の映像を観たが、飲み会でスマートフォンを取り出し、「僕は688点。君は?」と若者たちは画面を見せ合っていた。スマホに表示されている信用スコアは、高級レストランを利用する人、高学歴、高収入だと点数が高くなるそうだ。一方で、公共料金の支払いや借金の返済が滞りがちだと、減点される。調査員が抜き打ちで現れ、自宅の前のゴミを片付けろ、片づけなければ景観を汚しているとしてスコアを下げますと言われてしまう。子どもどころか市民全員が点数化される。

信用スコアに影響するということで、人々のマナーが向上し、町はきれいになったケースが紹介されていた。だが、市民は「社会のルールを守らないと、信用スコアに影響する」と戦々恐々としていた。きれいにしているほうが気持ちいい、周囲の人のためにもなるといった倫理観から行動するのではなく、抑圧されているように見えた。
そこには、個人情報が悪用されたり、監視社会が形成される懸念はないだろうか。

マルバツで正誤判定できないものを明確に点数にすることはできないはずだが、それを点数化し、人をランク付けするのが「信用スコア」のようなものだろう。しかしスコアは目に見えない優しさや思いやり、自分で思考する過程も点数化できるはずもない Photo by iStock
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私は「『点数をつけること』がすべて悪」ということを言いたいのではない。数値化することで問題点を可視化できる利点はおおいにある。ジェンダーギャップ指数などは最たるものだろう。また、試合で点数を取るからこそ、その差はわかるわけだし、面白い。勝負によってやる気を出すこともあるだろう。そして正誤の点数をつけて自分のわからない箇所を認識することもできるだろう。しかしそれと「個人を点数だけで評価する」ことの危険性は別の話だ。問題なのは、点数化できないことまで点数化し、それをその人の絶対評価のようにしてしまうことなのではないか。点数はあくまでも「参考」にしかすぎないのに。

点数といううわべではなく、子どもの深部を見たほうがいいと思う。子どもに対する点数主義、競争させてあおるマインドを一度捨ててほしい。ゆっくり待てば、子どもは自分で動き始める。私たち親のひとり一人の力で、教育を深化させよう。

幼児だけではない。大人だって、明確な試験や試合のスコアではないにもかかわらず、点数で評価されたらどう思うだろう Photo by iStock