『応仁の乱』著者が力説「富子は悪女ではなく、終戦の功労者である」

あの名言やエピソードは史実じゃない!
小学生から新学習指導要領で受験する高校生、さらには社会人までを読者対象とする、気鋭の若手研究者たちが監修した『講談社 学習まんが 日本の歴史』(全20巻)シリーズが好調に売れています。監修者のひとりであり、21日には大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の時代考証を務めることが発表された歴史学者の呉座勇一氏は、明智光秀が「敵は本能寺にあり」などとは言っていないように、日野富子は悪女ではなかったと力説します。

なんのために歴史を学ぶか

「学習まんが」というと、一般的には小中学生が読むものというイメージが強いと思います。しかし、実際にはもっと年齢が上の人たち、高校生、大学生、さらには、社会人でも、歴史を学ぶ上での導入として読まれる方がかなりいらっしゃいます。

今回、私が中世時代を監修させていただいた『学習まんが 日本の歴史』は、大人の読者も想定し、「学習まんが」としては知識量、情報量が多くなっています。

では、大人の読者は、なんのために歴史を学ぶのでしょうか。

一つは教養ということだと思います。歴史を学んで教養を深めるという純粋な目的です。

もう一つは、歴史を学ぶことで何か教訓を得ようというスタンスです。大人が歴史を学ぶ場合、これが意外と多い。

特に多いのは、「織田信長に学ぶ経営術」、「坂本龍馬に学ぶ交渉力」といった類のものです。このような「戦国武将に学ぶ」系の本は、定期的に刊行されています。

しかし、この手の「戦国武将に学ぶ」系の本には、問題もあります。

執筆に必ずしも専門家がかかわっていないケースが多く、戦国武将にしろ、幕末維新の英雄にしろ、その発言、エピソードが本当にその人のものなのかよくわからないということがけっこう多いのです。

 

「敵は本能寺にあり」とは言っていない!?

有名な事例で言いますと、本能寺の変を起こした明智光秀の名言があります。

明智光秀は、行軍中、「敵は本能寺にあり」と家臣たちに宣言して、本能寺に攻めかかる。これはよく知られたストーリーで、小説やドラマでは、必ず描かれるところです。

しかし、実際には、明智光秀が「敵は本能寺にあり」と発言したという史実はありません。 

この「敵は本能寺にあり」、正確に記すと、「わが敵は本能寺にあり」という言葉は、頼山陽が著した『日本外史』という歴史書に出てきます。『日本外史』が書かれたのは1827年ですから、江戸時代の後期になってから出てきた言葉です。

光秀は家臣に何と言ったのか?(Photo by gettyimages)

さらにたどると、本能寺の変から100年ほど経った頃に作られた『明智軍記』という軍記物語の中に、「敵は四条本能寺、二条城にあり」という記述があります。四条本能寺には信長、二条城には信長の息子の信忠がいました。

この「敵は四条本能寺、二条城にあり」という言葉を短くして、頼山陽が「敵は本能寺にあり」という言葉を作ったわけです。

「人は城、人は石垣、人は堀」。この言葉は、『甲陽軍鑑』という史料に武田信玄の名言として紹介されていますが、伊達政宗の発言とする史料も存在します。武田信玄が、本当に「人は城、人は石垣、人は堀」と言ったかどうかも、じつははっきりしないのです。

このように、我々がよく知っている歴史上の名言、エピソードというのは、じつは後世に付け加えられた作り話であるということが、往々にしてあります。

もちろん、歴史小説、歴史ドラマとして楽しむぶんには、フィクションがいくら入っていようが構いません。

しかし、われわれが現代を生きていくうえでの教訓として歴史を学ぶという場合、そういった作り話を鵜吞みにしてしまうのは、いささか問題があります。作り話から学んだのでは、本当に歴史から教訓を得たことにならないからです。