85年前の「憲法学説調査」の“気持ち悪さ”
学生に憲法を講義するようになって38年になる。「学問の自由」(23条)について話すとき、天皇機関説事件について必ず触れてきた。だが、それは23条を生み出した「負の前史」として、であった。
2006年12月、文部省思想局『各大学に於ける憲法学説調査に関する文書』(昭和10年)を共同通信ワシントン特派員が米議会図書館で発見して、それについてコメントを求められた。
送られてきた資料を見ての第一印象は「気持ちの悪さ」だった。もし私自身がその時代にいたら、どんな態度をとっただろうか。同じようなことは、形を変え、品を変えて現在も起こりうるのではないか。こんな紙媒体で残すこともなく、もっと巧妙に。
そんな思いで13年前の正月、封切られたばかりの映画「武士の一分」(山田洋次監督)にひっかけて、ホームページに「憲法研究者の「一分」とは」を2回連載でアップした。
最近、これを読んだ方から、『憲法学説に関する件』(昭和10年4月)という半年ほど前の文部省思想局文書の提供を受けた。重なる部分もあるが、こちらは憲法学だけでなく、法理学や「法制経済学」などを担当する教授にまで調査範囲を広げている。
日本学術会議の問題が起きて、両者を改めて隅々まで読んでみた。
85年前の文書ではあるが、官僚がやることは同じだなと思った。与えられた仕事を淡々と、綿密かつ周到にやっている。肩書や担当科目、書名などのミスは万年筆で書き込み、墨で消して訂正している。全国の大学、高校(旧制)、専門学校で、天皇機関説について授業で扱いそうな教授(講師を含む)を徹底的に調べ上げていたことがわかる。
表紙の裏には思想局長、思想課長、専門学務局長の印が押してある(学務課長は「不在」とある)。扉には、「調査の性質上私文書」と書かれてある。大学教授の思想調査の文書であるから、さすがに公文書にはできなかったのだろう。