大ヒット『鬼滅の刃』、若者に刺さりまくった「炭治郎の一言」をご存じか?

「どうでもいい」を超えるもの
森島 豊 プロフィール

この物語が向き合っている世界がある。その世界を象徴しているのが「どうでもいい」という表現だ。「どうでもいい」という言葉や同じ心境が主人公の周辺に描かれている。

登場人物の多くは、敵も味方も不条理な経験をしている。鬼殺隊も鬼にされた者も、孤児か劣悪な家庭環境にあった者たちだ。その痛ましい成長過程の中で自分も他人も「どうでもいい」ことになっていく。主役の鬼殺隊も、悪役の鬼も、「どうでもいい」という状況と心に襲われている。

重要なことは、鬼だけでなく、主人公たちも同じ心境にあることだ。両者の違いは紙一重だ。どちらも不条理を経験している。自分以外のことなどどうでもいい。いや、自分のことも、もうどうなってもいい。それは現代人がどこかで感じる厳しい現実の中の虚しさを代弁している。その意味では、戦後の「虚脱」世代や「三無主義(無気力、無関心、無責任)」と呼ばれた「しらけ世代」の本質的問題は、「ゆとり世代」や「さとり世代」になっても変わらないのかもしれない。

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けれども、登場人物のユニークなキャラクターはこの主題を深刻化させない。一人一人が置かれた境遇は深刻だが、明るいキャラクターがそれをひっくり返す。その明るさは破天荒な振る舞いにあらわれる。容姿も言動も常識やぶりの嘴平伊之助(はしびら・いのすけ)は猪のマスクをしている。背後のストーリーは重たいが、彼のキャラクターがその深刻さをひっくり返す。

「柱」と呼ばれる鬼殺隊は、みんな社会に溶け込めない性質をもっている。しかし、空気を読まない突き抜けた性格が読者を楽しい世界へ導く。

また物語の非政治性が読者を安心させる。この物語に政治の入る余地はない。鬼殺隊は政府の組織ではない。この敵とのたたかいには国家権力や政府をあてに出来ない。政治とは距離を置いたところで、いのちに関わる本質的なたたかいをしている。この舞台装置が政治と距離を置く世代の現実とリンクして、安心して読めるのかもしれない。