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「ロボットにロボットを作らせてはならない」ただ1つの理由

自然選択が働くと多様性を与えてしまう

大学の数学

私は大学を卒業してから民間企業に入り、そこを退社してから大学に戻って大学院に入った。生物学(というか古生物学)を始めたのは大学院に入ってからで、最初に大学に入ったときは、4年生まで数学の授業がある学科にいた。

私は真面目な学生ではなかったし、もともと才能もなかったので、偉そうなことは言えないけれど、大学の数学は高校までの数学とは大きく違う。授業の多くの時間は、定理の証明に費やされる。問題を解いたり計算をしたりすることはほとんどない。というか、少なくとも私に関するかぎり、大学の数学の時間に計算をした記憶はまったくない(とはいえ最近の大学の教科書には、計算問題も載っているみたいです)。

半分冗談かもしれないが、ある友人がこんなことを言っていた。「大学の生物は化学みたいで、化学は物理みたいで、物理は数学みたいで、数学は何をしているんだかわからない」

大学の生物は化学みたいで、化学は物理みたいで、物理は数学みたいで、数学は何をしているんだかわからない!? photo by gettyimages

そんな大学の数学の教科書を読んでいると、少し不思議な感じがしてくる。ページに書いてある式を、一行一行読んでいくときは、論理が理解できるので納得しながら読んでいける。しかし、1~2ページ読んでから前の方を振り返ると、何のために何をしていたのか分からなくなってしまう。

一行一行を理解することと、全体を理解するのは、別のことらしい。それでも、同じページを何回か読み直すと、なんとなく全体がわかったような気がしてくる。しかし、そこまで到達するには時間がかかる。結局私は、わかったような気分になることが少ないまま、大学を卒業してしまった。

 

ヒトの脳は自然淘汰ではつくれない?

数学の教科書を読むときのようなことは、世の中でもときどき起きているらしい。部分を理解することと、全体を理解することは別なのだ。そんな例の一つが自然淘汰(=自然選択)だろう。