古澤拓也選手(写真提供:パラ神奈川SC)
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車いすバスケ日本代表選手が語った「障がい者スポーツの苦労と喜び」

障がい者スポーツ支援から見えること(2)

提供:三菱商事

【第一回】「車いすラグビー日本代表選手が「プレーを通して」子どもたちに伝えたこと

活躍する国枝選手に憧れて

体育館内に響く車いす同士の激しい接触音、床とタイヤの摩擦によって発生する焦げたゴムの匂い――。初めて見た人でも、迫力満点でスピード感あふれるゲーム展開に目を奪われることは間違いない。それが、障がい者スポーツの中でもとりわけ人気が高く、競技人口も多い「車いすバスケットボール」である。

「『ダブルドリブル』が認められているのと『持ち点制度』が適用されていること以外は通常のバスケットボールとほぼ同じルールで、コートの大きさもリングの高さも、ボールの大きさも変わりありません」

そう教えてくれたのは、車いすバスケットボール日本代表チームで活躍している古澤拓也選手(24)だ。

古澤選手。取材はzoomで行われた
1996年5月8日、神奈川県生まれ。小学校時代は野球少年だったが、6年生の時から車いす生活に。パラ神奈川スポーツクラブに所属。現在、桐蔭横浜大学4年生。持ち点は障がいの軽い3.0点。ポジションは、攻撃の司令塔であるポイントガードだが、アシストだけではなく得点力も魅力となっている

車いすバスケットボールは第1回パラリンピック(1960年のローマ大会)から実施されている花形競技。選手は障がいの程度で1.0点から4.5点まで0.5点刻みでクラス分けされていて、コート上の5人の点数の合計が14〜0点以内で戦わなくてはいけないルール(持ち点制度)がある。つまり、障がいの軽い選手ばかりでチームを編成できないことから、持ち点がチーム戦術に大きく関わるとともに、ゲームの醍醐味にもなっている。

古澤さんは、小学6年生、12歳の時に脊髄空洞症という難病と診断された。病気の進行を止めるために手術をしたが、合併症が原因で両下肢障がい(下半身麻痺)になり、車いすユーザーとなった。

「それまで大好きだった野球ができなくなって、当初は他のスポーツをやる気にはなりませんでした。でも、ちょうど車いすテニスの国枝慎吾選手が金メダルを獲った姿をテレビで見て、車いすスポーツに興味を持ちました。その時、母が近所で開かれていた車いすスポーツの体験教室を探してきてくれて、それに参加するようになったんです」