〔PHOTO〕Gettyimages

朝ドラ『エール』の「戦争の描き方」に「決定的な違和感」抱いたワケ

「戦争が終わったら」という台詞の奇妙さ

すごかった戦争描写…でも、気になったこと

朝ドラ『エール』の戦争描写は、かつてないものだった。

はからずも戦争に協力した当時の壮年男性の悩みと戦後の懊悩を描いている。ビルマでの戦闘シーンも描かれていた。

戦時の「日本男性」の心情をかなりリアルに描いていたとおもう。

そこまできちんと描いていた『エール』だからこそ、気づかされたことがある。

ひょっとしたら、わりと些細なことかもしれない。

でもちょっと気になることだった。

〔PHOTO〕iStock
 

今回は「戦時に徴兵される可能性のある年代の男性」を主人公に据えた。そのため大きく戦争と関わる世代として、「正面から戦争を拒否したり反対できない状況」を描いた。

戦争中を舞台にしたドラマで難しいのは、登場人物が「いま進行中の戦争をどうおもっているか」の描き方である。

簡単に分けるなら「戦争遂行を熱心に支持しているのか」「それほど熱心ではないのか」のどちらなのかということだ。

朝ドラのヒロインは、だいたい「それほど熱心に協力しない」というスタンスで描かれることが多かった。

ここがむずかしい。

熱心な戦争遂行支持者を設定するとそれはかなりリアルな存在にはなるが、昭和20年夏の敗戦のあと、どういう態度を取るのかが描きにくくなる。

かといって、「この戦争は日本が負ける」と予言する人物を出すのも変である。それを根拠に「戦争に反対する」というのもかなり無理な設定となる。

「特殊能力者」にでもしないかぎり、登場人物に「未来人しか知りえないこと」を話させるわけにはいかない。

信長に「本能寺に行ってはいけない」と止める武将が現れたり、石田三成に「小早川秀秋の裏切りを止めなされ」と進言する謎の人物が現れると、物語としてはおもしろいが、歴史ものではなくなってしまう。そもそもそれは歴史ドラマを書く人がぜったいにやってはいけないことでもある。