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哲学はなぜ世界の崩壊の快楽を探究してしまうのか

パンデミックから破壊の形而上学へ
この日常世界の足元に無慈悲な崩壊の深淵を覗く精神は、マゾヒスティックな解放の快楽を呼び覚ます――。『連続と断絶 ホワイトヘッドの哲学』で「破壊の形而上学」への筋道を示唆した気鋭の著者による最新論考。あまりに非人間的な、哲学史上最強の破壊力を堪能せよ!

破壊の無慈悲で圧倒的な力

わたしたちが当然のものとみなしているこの日常的な世界は、とつじょ圧倒的な力によって破壊されうる。そのときわたしたちは、想像もつかない未知の世界に投げ込まれることになる。

破壊とはある種の解放であり、未知の世界との接触である。

本記事では、破壊そのものがもつこうした力を最大強度で描き出すことを試みたい。

しかし、ふつう破壊は、創造とセットで語られることが多いだろう。「破壊は、あらたな秩序が創造されるために必要なものである」。しばしば、こんなふうに語られる。

つまり多くの場合、破壊は、創造のためのたんなる一ステップとみなされているのだ。破壊そのものは悪しきものである。その破壊の悲劇を、創造が緩和しにやってくる。無意味な破壊に、創造が意味をあたえてあげよう、というわけだ。

これに対して、本記事では、破壊そのものがもつ無慈悲で圧倒的な力を強調したい。

破壊とは、解放である。そのあとにどれだけ有益な秩序が創造されるかとは無関係に、破壊そのものが解放としての価値をもっているのだ。

 

破壊がもたらす解放感とマゾヒスティックな快楽

本記事が追求する破壊とは、ひじょうに強く、また、そこにおいてわたしが圧倒的に受動的になるようなものである。

それは、わたしの意志とはまったく無関係に、とつじょこの世界の根本的な土台が覆されるような破壊だ。

いいかえれば、日常的に繰り返されてきたゲームを成立させるボードそのものが破壊されるような事態である。圧倒的な力によって、チェスの盤面そのものが叩き割られるのだ。

たとえば、映画『シン・ゴジラ』の中盤で、爆撃機の攻撃を受けたゴジラが、口や背中から破壊光線を四方八方へと発射するというシーンがある。都心は、あっという間に焼け野原になってしまう。

また、Netflixのオリジナルアニメシリーズ『日本沈没2020』の終盤では、巨大地震をきっかけに日本全土が地殻変動によって海に沈んでいくさまが描かれる。

怪獣や自然の圧倒的な力によって、日常的な世界は、とつじょ土台から突き崩される。そこには、既知の世界が消し飛ぶある種の解放感と、未知の事態に浸透されるマゾヒスティックな快楽がある。