中野信子さんが迫る、脳と学芸員の仕事の「知られざる共通点」

見えにくいものにこそコストをかけよ
中野 信子, 熊澤 弘 プロフィール

見えにくいものにこそコストをかけよ

中野 経済的な裁量権を持っている人たちに、現場がやっている仕事の重要性が認識されにくい業務ですよね。ミュージアムの学芸員はまさにそうですね。

 

脳というのは科学が発展するまでの人類史における長い間、ずっと、何をしているのかわからない器官だったんです。

中を開けてみても何だかよくわからない。取り出してもちょっと放っておけば、脂肪の多い組織ですからドロドロに溶けちゃうし、構造を見ても、消化管みたいに機能がすぐわかるわけではない。それどころか10%も使っていないんじゃないかとさえ言われていた。

では、その脳は「予算」をどれくらい使うのか。人体における予算というのは酸素とブドウ糖なんですが、脳だけで酸素は全体の4分の1、ブドウ糖は5分の1を使うんです。重さは身体全体の2~3%しかなく、それなのに予算は4分の1も使うという。

こんなに予算を使う器官が、何もしていないわけがなく、90%もその機能を余らせている道理がない。人体にはそんな余裕はありません。ただ、働きが見えにくいだけなんです。

何をしているかわかりにくい脳(photo by iStock)

頭蓋骨に囲まれていることもあって外から見えにくい。けれど、それがいろいろな仕事をしているのです。

脳はただボーッとしているだけでもフル活動しているときの80%のエネルギーを使っていることがわかっています。ただ保持をするのにもものすごく予算が要る一方で、熱とかカロリーといったすぐ使えるわかりやすい資産をたくさん生み出してくれるわけでもないので、そんな予算食い虫はどんどん縮小しろ、機能は削れ、節約しろと命令されるということがずっと起きているんですよね。

人類の脳は3万年前と比べて、容積にして10%ほど小さくなっているといわれています。

熊澤 ミュージアムは建物を造らなければいけないし、展覧会を開かなくても、土地代も水道代も電気代もかかる。でも、中に所蔵されてあるものを維持し、なおかつ調べ続けていかなければなりません。

中野 そういった、見えにくいけれど必要なコストにきちんとお金を配分できることこそ、文化的な先進国であることの証なのですけれどね。

目に見えるわかりやすいものばかりにしかコストをかけず、見えないところをカットすると、脳が縮小するように、国や人類全体も衰退していってしまうのではないでしょうか。

閉館時も静かに準備し続けている

熊澤 私が勤務している藝大の美術館でいえば、狩野芳崖(1828~88)の《悲母観音》や、上村松園(1875~1949)の《序の舞》などがよく知られています。文字通りスターといっていいかもしれない。

このスターにはお金をかける、脳にあてはめてみればブドウ糖をいっぱい使うことはあると思います。ただ、それ以外のものにも価値があるので、それらにもブドウ糖を使って世話をしつづける必要があります。

中野 面白いですね。人間の脳は寝ているときは何をしているのか、人間になぜ睡眠が必要なのかというと、簡単に言えば脳は使っていればゴミが溜まって、そのゴミが神経細胞を傷めつけるので、必ず洗わないといけない、という機構になっているんです。

そして、その洗う作業は寝ている間しかできないんです。あたかも、鉄道の架線工事は運行のない深夜に行うか、運休が必要といった事情と似たようなものです。

そのウォッシュアウトに睡眠が必要なんですが、ゴミが溜まると記憶を新たに形成しにくくなったり、場合によってはアルツハイマー型認知症になったりします。睡眠をとることで、記憶のつながりもよりよくなるんですね。

休館中や展示をしていないときのミュージアムは、まさに同じような作業をやっていると思うんですけれど、展覧会をやっているときのミュージアムの姿がやはり人目に触れやすいので、そちらの印象が強くなりますね。